映画スターウォーズシリーズ第4作、ファントム・メナス」から、主人公アナキンのセリフ。1.2.3作で銀河系を恐怖で支配していたダース・ベイダー卿。その彼がまだただのアナキン・スカイウォーカー少年だった時代のエピソードである。母一人子一人で、廃品回収などをしながら健気に賢く生きるアナキン少年が、いつ巨悪の片鱗を見せるのか、ファンはその一挙手一投足から目が話せない作品だ。
ジェダイマスターのクワイ・ガン・ジンは、アナキンの中に眠る素質に気づき、ジェダイ騎士になる意思があるかどうか確かめる。幼い身で母のもとを去り、会ったばかりの人間に連れられて見知らぬ星に行く。
「修行はきびしいぞ」
そう言ったクワイ・ガン・ジンへの、アナキンの返事がこれである。
「はい」でも、「がんばります」でもない、厳しい修行こそが自分の願いだといえる、強い意思。人生の岐路に立ったときに、これほど堂々と我が道を選ぶことができる人間は多くないだろう。なしくずしの決断や言い訳に明け暮れて、またそれを悪いこととも思わずに暮らしていた自分だが、このセリフの前では流石に己を恥じたものである。
結局この作品では、アナキンが悪の道に走る兆候は一切見られない。が、方向性は違うが、後に銀河系を支配することになる男の、器の大きさや風格といったものがこの一言に表れているように思う。ネット上のスター・ウォーズ名言ランキングなどに全く登場しないのは謎だが、このセリフのおかげで私にとってシリーズ中一番好きな作品になっている。
そこまでは古く無いでしょうが、画期的な宇宙をテーマの映画でしたね。あの発想は凄いですね。未知との遭遇もそうですが、アメリカならではの壮大なドラマですね。子供の頃に見ていた手塚治虫氏のアトムもですが、今も通用するのには驚きますね。宇宙ものも今も通用するのは不思議でもあり、作者の想像力の豊かさに感心しきりです。
本物の火星の映像なども公開されてますが、殺風景なだけで、映画より面白くはないですね。ただ、あと少しでどこかのブラックホールが2個合体するのだとか。これはもしかしたら、想像を絶するすごいものが見えるかもしれません。もっとも目に見えるようなことが起こったら、こっちがあぶないかもしれませんが。
スター・ウォーズは一度しか見ていませんから、詳しくはありませんが、息子や孫はファンらしく我が家にはグッズが幾つかあります。マグカップから丼の果てまで。いつだったか光る音の出る剣がありましたが、只の玩具と思って捨ててしまいました。孫には叱られました。そんな私もダーク・ベーダースの不気味な顔と不気味な湯船の中で喋ったような音声は覚えています。さすがに女児の孫はハリー・ポッターファンですがね。
そんなに若い世代のファンは珍しいです。あの剣は正義の象徴なので、捨てたら怒られるのは仕方ありませんね。私の若い頃に始まったシリーズなので、ファンも高齢で、年寄映画とも言われてるのがちょっと寂しいです。昔のお年寄りが、大川橋蔵や長谷川一夫が好きだったのと同じような感じかもしれませんね。