トイストーリー第一作の、バズ・ライトイヤーのセリフである。
人は誰でも、自分が特別な存在じゃないことに気がつく時が来る。親の愛情を受けて育ち、学校などの限られた世界で相応の成果を上げ、社会は自分の活躍を待っていると思って巣立つ。そういう若者の気概は本当に大切なものだが、残念なことに社会に出たとたん自分が特別どころか、未熟な若造に過ぎないことを知らされてしまう。
バズ・ライトイヤーは宇宙冒険ドラマのキャラクターを模したおもちゃだ。アメリカ人がバズといえばアポロ11のバズ・オルドリンのことだし、ライトヤーは光年。これ以上ないくらいの、宇宙ヒーローである。誕生日のプレゼントとしてアンディ少年の家にやってきたが、当人は自分がおもちゃではなく、本物の宇宙ヒーローだと思い込み、とんちんかんな行動を始める。先輩おもちゃのウッディが自分たちがおもちゃにすぎないことを何度言って聞かせても、光線銃が出ないのも翼のロケットで空を飛べないのも、故障のせいにし、周囲を戦場に見立て黙々と「作戦行動」を続ける。ちょっとしたドン・キホーテだ。
そんなバズだが、大型おもちゃ店でバズ・ライトイヤーのおもちゃが大量陳列されているのを発見し、自分が何者であるか知ってしまう。そして、落ち込んで自暴自棄になったり、仲間のウッディと喧嘩したりしながらも、本当の自分に立ち帰って仲間の救出作戦に。車で運ばれて行く仲間に向かって、高い場所から翼を広げて滑空するときに、ウッディが「飛べたじゃないか」と言ったのに対して答えたのが、今回のセリフである。
冒険の舞台は大宇宙からご近所にパワーダウンしてしまったが、おもちゃの身で仲間を助けようという車道に飛び出すのは大冒険だ。そんなときに発したバズの、ちょっと自嘲気味の一言は、体内のレコーダーに入ってる宇宙ヒーローの決め台詞よりずっと格好良かった。
※プレゼントがアンディの誕生日かクリスマスか、飛び降りたのは屋根か2階の窓か。そのへんは忘れてしまって、見直してもいないので間違ってるかもしれない。
この手の映画は見ていないので分かりませんが、アメリカらしく玩具が擬人化されて生命を得たストーリーで楽しそうですね。
全編CGの教科書みたいなものですからね。現在4まで出ていますが、新作が出るたびに最新技術が採用されていて、見ごたえがあります。シナリオも良質のコメディになっていて、いつも感心させられます。アメリカの映画界では、コメディの脚本家が最もステータスが高く、悲劇やロマンスはそれに次ぐ扱いですが、その中でも特にハイレベルな作品だと言えますね。