「かっこいい年寄りになりたい」と言った人がいる。なるほど、いい言葉だ。ボケたくない、キレる年寄りになりたくないと言うより、前向きだ。そういう心構えはぜひ見習いたい。
そこでかっこいい年寄りとは、どういう人物だろう。優しくて人生の知恵に満ちている、サンタクロースのような老人も良いが、毅然とした年寄りもいい。その点、池波正太郎の「剣客商売」の主人公、秋山小兵衛はかなりいい感じだ。年はとっても腕が立ち、頭もきれる。できの良い息子や嫁もいる。身の回りの世話をする若い娘に手をつけてたりするところも、なかなかのものである。
白土三平の「忍者武芸帳」に登場する下忍のオドは、子供時代に読んで、忘れることの出来ない、かっこいい年寄りだ。下忍のオドは歳を取って用済みにされるのを恐れて、若手と一緒に任務に出るが、いつも役目は、追手に追われたときに囮になって仲間を逃がすいわば捨て駒。が、そのたびに一人で里まで生還する。実は、仲間にも隠しているが、手裏剣術の達人だった。そのことが仲間にバレ、術を横取りしようとする上役を返り討ちにし、オドはそのまま抜け忍になる。
その後貧しい農民の子と出会い、その家の天井に隠れ住んで、大人に隠れて家の手伝いをするようになる。子供にしか見えないが家を守ってくれる。オドは座敷わらしとして、それまで経験しなかった平穏な暮らしを手に入れる。
そんな一家の村を、侍の一団が襲撃する。オドは一家を逃して一人でこれに立ち向かって撃退するが、自分も致命的な深手をおってしまう。そして、
「自分の一生も、最後になってめっぽう面白くなってきた」とつぶやいて倒れる。
小説やマンガに比べ、実在するかっこいい年寄りは悲しいかな数少ないが、近年の例では、福島原発事故の後、最前線での作業を買って出た、6人の定年退職した技術者は、まぎれもなくかっこいい年寄りだ。新陳代謝が不活発になった高齢者は、それだけ放射線の被害を受けにくいという理由だが、それはあくまで公式コメントだろう。
昔、この世代の原発技術者の方と話をしたことがある。いわく、自分は子供時代に長崎・広島の原爆の被害を知って、爆弾ではなく発電所を作ればいいのにと思った。その気持ちのまま勉強し、この仕事についたという。
高齢者の原発作業志願者はその後200人以上に増えている。直接自分が担当した施設ではないが、豊かな社会を夢見て頑張った原発事業が残念なことになり、そのつけを次代の若者に回すわけにはいかないという強い信念からの行動だと、私は信じている。
よく「人は外見ではなく中身だ」といいますね。これは勘違いする人が多いと思うのですが,曲げて解釈していないでしょうか?。「汚いくだらしない恰好をして勤勉が良い」と思いがち。
しかし,ここで言う外見は,決してそうではないと思いますね。普通の身なりの事だと思いますね。また「人は見かけによらぬもの」とも言いますね。ここで言う見かけも,きっと普通の風体と言うことだと思いますね。普段は見せない特技があるとか,特殊能力があるとか,あるジャンルでは右に出る者がいないほど有名だとか,見えないところで地域貢献しているとか,そう言うことでしょうね。
歳をとっても何でも簡単にあきらめる事がないようにしたいです。「もう年だから・・・」のセリフは封印して,自分にできる限り正直に生きたいですね。良い事も,世間一般常識で悪いと思われても,自分の思いを貫き通せれば他人の目は別として,自分にとってはカッコいいと思いますね。あきらめて生きるのは簡単ですからね。
せめて外見だけでも少しはカッコ良く見られたいと言う気持ちはいつもありますね。つい先日も,郊外の客先までクルマで訪ねたのですが,客先の社屋の2F事務所に行く途中の階段の踊り場の壁に貼られた大鏡に映った自分のやつれた表情にうんざりして,目前で「回れ右!」して帰ってきました。散髪でもしてサッパリしてから出直そうと思ったからです。早速,今日の日中に散髪してきました。さて?明日は訪ねてみようかと思っています。それにしても鏡は正直ですね。今度は回れ右しないと思いますが?。かつて職場で或る年上の同僚の人を見ていて知ったのですが,年を重ねると誰しもだらしなくなりがちですが,その人は一生独身と言う主義でしたが,身なりはサッパリしていました。それに頭髪は短くしていました。その頃の僕は長髪でしたが,彼を見て決心しました。歳をとったら短髪にしようと。せめて外見だけでも。
自分は他人のため,社会のためになるカッコいい年寄りになりたいのか?それとも個人的にカッコいい年寄りになりたいのか?と問えば,大した社会貢献もしていないので,後者になるのかも知れないですね。何方でも,成れればいいですね。カッコいいと言っても自分の判断ではなく他人や身の回りの人が評価するものですから,自分がどう映るかは自分にはわかりませんね。少なくても自分は聖人君子などにはなれない俗人ですから,なお難しい目標かも知れませんし,今からでは,もう遅すぎるのかも知れませんね。
いやいや、悪いことはしておらず、いなくなると困る人がいる。それだけで十分社会貢献できてると思いますね。あとは個人的に格好良く生きれば十分。逆に「おれは社会にこんなに尽くした。見ろ、この勲章の数々を」なんていう年寄りは、ちょっと格好悪いですね。