インターネットでは、ときどき驚くような情報に出くわすことがある。最近立て続けに知った、日本に関する意外な事実をご紹介。
1.日本の首都は東京...とは、はっきり決まっていない。
本当にそうらしい。具体的には、『1950年に首都建設法に「東京都が国の首都」と明文化されていたが、1956年に廃止された』のだそうだ。もちろん首都機能がなくなったわけではないし、海外に対しても Capital City Tokyo と紹介されているが。廃止の事情は不明。
2.日本の国花は桜...とは、はっきり決まっていない
本当にそうらしい。事実上日本の花といえばもちろん桜で、世界中に知られているが、明文化されてはいないという。ちなみに桜を正式な国花にしている国は、ウクライナだけである。
3.明治以前の年号は読み方は、はっきり決まっていない
本当にそうらしい。応仁(おうにん)とか元禄(げんろく)などの超有名年号も、読み方は公表されなかったのだという。現代と同じに読まれてはいただろうが、そもそも多くの人は元号を使わなかったような気がする。というのも、古い手紙に書いた日付でも、年号部分は干支を使って「丙午(へいご/ひのえうま)弥生」というような書き方は見かけるが、元号は記憶にない。干支は60年で一回りして同じものを繰り返すのだが、平均寿命的に、それでも支障がなかったのかもしれない。
ちなみに干支はかなり最近まで年号として使われていて、例えば明治元年の戊辰戦争は戊辰(ぼしん、つちのえたつ)の年の出来事。さらには大正13年にできた甲子園は、甲子(こうし、かっし、きのえね)の年にちなんで名付けられた。
日本人は物事に厳密で律儀な性格、というのは自称しているだけで、明文化や規則化に関しては欧米のほうが徹底しているかもしれない。
ジェーン台風は外国で命名したものと思って居ましたが、その後は伊勢湾台風など、日本語版になって来ましたね。そう言えば、田舎では屋号でお互いに呼んでいましたね。子供の私にはさっぱり分かりませんでしたが、苗字などあったにも関わらず全て会話は屋号でしたね。北兵衛、清左衛門、孫兵衛、徳兵衛、利兵衛、などいろいろでした。
店なら屋号、寺なら寺号に「さん」づけで通っていて、名字のわからない人もいましたね。あだ名しかわからない人も。直接顔をあわせることが多くて、電話や手紙さえ少なかったからかもしれません。
1950年と言えば終戦後5年目で空爆で壊滅状態だった東京も完全に復興はしていなかったでしょうから、むしろ他都市で東京より被害の少なかった都市に遷都では無いですが首都機能を移す考えなども有ったのかも知れませんね。終戦後のドサクサですからちゃんとした文書なり取り決めも曖昧になったのでしょう。仮の日本政府も実態は,、占領軍からの圧力などの影響も有ったのかも知れませんね。日本の花がサクラで無ければ取敢えず菊にでもなっていたかも知れませんね。ウクライナが桜とは知りませんでした。歴史の勉強では年号やらその時々の事件など覚えるのに大変でしたが、西暦のように単純には出来ない事情も有ったのでしょうね。話は変わりますが、アメリカや日本ではクルマなどの工業製品にさえ名前を付けますが、ヨーロッパ、特にドイツなどは単純な数字表記ですからね。ところでハリケーンはアメリカで命名されるのでしょうが、台風は一体?誰が名付け親なのでしょうね。女性名称が多いですから、やっぱりアメリカでしょうか?強烈な台風に女性名など意外ですね。
ハリケーンに女性名がついているのは不思議じゃない、という人もいるかもしれませんよ。日本でも、今は番号ですが昔はジェーン台風とか呼んでいたような気がします。明治の北海道開拓民の伝記を手伝ったことがありますが、「信三」という名前が、のぶぞうなのかしんぞうなのか、子孫もわからないと言ってました。また、明治維新から農民も名字を名乗るようになったというのは間違いで、大抵の農家に代々名字はあったけど、あまり使わなかったというのが正しいらしいです。名前にこだわらない国民性なのかもしれません。