今を去る約四半世紀前にJリーグがスタートした際、Jリーグ100年構想が発表された。地域社会がスポーツ文化を支えながら、世界に通用するレベルに育て上げるというものだ。そして「世界」とはワールドカップのことであり、「通用する」とは、ブラジルやドイツなどと渡り合えるということである。実に心躍るメッセージであったと同時に、「やはり100年もかかるのか」という思いもあった。世界に通用するプレイヤーやチームどころか、芝のサッカーコートすらほとんどない日本が、ドイツやブラジルと張り合えるようになるには、100年でも無理かもしれない。自分はその日に立ち会えないのだろうと思ったものだ。
それがどうだろう。ドイツはまぐれや奇跡が起こったくらいで勝てる相手ではない。あの瞬間だけのことかもしれないが、まぎれもない実力である。そして、スタジアムに行ったことのある人なら、地域のご贔屓チームのサポーター席からドイツ戦のフィールドまで、目に見えない道が繋がったことを実感しているはずだ。それがサッカー、それが文化である。
文化面のほかにワールドカップの重要な点は、ずばり金だ。高度に発展した世界経済は、パンデミックや戦争など想定外の出来事が起こるとすぐダメージを受ける。金持ちが苦しむだけなら放っておいても良いくらいだが、御存知の通り、我々の仕事や生活が直接被害を被る。おそらく困窮者、小企業、途上国など、弱者であるほど大きな被害を被っていることだろう。
サッカーは、世界中で莫大な経済効果を生み、しかも金持ちが強いわけではない。FIFAランキングを見れば、世界一位は新興国のブラジル。以下、ベルギー、アルゼンチンと続き、世界最大の経済国アメリカがようやく16位。日本は24位で、中国は79位だ。今回開催国のカタールも一人当たり名目GDPなら世界8位の(日本は27位...)世界有数の金持ち国である。いわば金持ち国やそこのスポンサー企業が、新興国のチームや選手が活躍する舞台を提供しているのがワールドカップである。仮に運営面に多少怪しい動きがあったとしても、こんな風に概ねフェアで生産的で、しかも痛快な事業はなかなかない。試合を楽しみ、素直に喜べる立場にいて、本当に幸せだと思う。
東京オリンピックでは最初から最後までシンボルマーク疑惑から始まって競技場構想や運営面での金に絡む問題が噴出しました。だからと言って参加選手たちには何の関係も無く、開催への反対意見もあり、彼ら彼女らにとってはきっと傍迷惑だと思います。サッカーはじめスポーツ全般にファンやサポーターが支え、選手たちもそれに応えて成り立つものですから、運営はクリアにして行きたいものですね。
有名どころの広告代理店に、次々と家宅捜索が入ってますね。やってたことは昔から変わらないだろうと思うのですが、時代も変わったということでしょうね。選手側の種目別協会などは、けっこう前からいろいろな悪しき習慣が改善されてきているようです。かつて「天皇」なんて言われる人が君臨していた某ウィンタースポーツ協会も、あるスキャンダルを機に上層部が刷新され、クソ真面目で知られる知人が理事に選ばれました。広告業界のほうが体質が古く、そういう社会の流れがわかってなかったのではないかと思います。