前回のコメントに、京都生まれの人に接待の料理をけなされたという話があったが、以前の北海道民は、中元歳暮の時期に、よく同じような経験をした。父は京都に荒巻を贈ったら、これは肉体労働者の食べ物と言われたと憤慨していた。ただ、何も贈るものがなかったのだ。銘菓・名物といっても、京都などにははるかに及ばない。内心、小麦粉と砂糖を丸めて、丁寧に包装しただけのものじゃないか思ったが、創業うん百年の老舗と言われるとぐうの音も出ない。農産物、海産物はクール便がなかったし、送っても何こそ言われるかという時代だった。
それまでも親戚や友人には、国鉄のチッキ(カタカナでいいのかな?)で、じゃがいもを箱で送ったりしていたが、私が成人するころ、徐々にそれが認知されてきた。こちらでいうところの、北海道名産品の本州送りである。(本州だけというわけではない。道外という意味だが、九州、四国の方にはちょっと失礼な言い方だ)
やがて北海道からの生鮮食品は豪華贈答品とみなされるようになった。これはちょうど社会人になり、交際が広がった時期に大助かりだった。同じような思いをしていた同世代の間で、「じゃがいもでも喜んでくれた」「蟹だと大げさにうけとられすぎる」「沖縄にはアスパラがいい」「手土産にはマルセイバターサンドだ」という、情報交換も行われた。
北海道と言っても、札幌では生鮮品のアドバンテージなどなにもないのだが、贈答品の暗黒時代を知ってる人が、頑張ってありとあらゆるものを送ったのだろう。北海道産直品は贈答品の定番になった。生産地の努力だけでなく、せっせと送った一般の道民のおかげも大きいと思う。前の世代の人が、かつて鼻の先で笑われた相手から、感謝感激の礼状が来るようになった時、どれだけ痛快に感じたことか。
以前会った人が、「本州から客が来るが、蟹を食べさせてもらえものと思って、疑いもしない。札幌は別に安いわけじゃないのに」とボヤいていた。確かにそういう部分はあるが、その昔の、何を贈っても鼻の先で笑われてた時代より、ずっとマシである。(かも?)
蟹の話と言えば、東京の義兄が姉と北海道旅行で札幌に1泊した時のこと。僕たち夫婦にご馳走してくれると言うので出かけると、ビルの地下にある蟹料理専門店の座敷に待っていた。そこで初めて蟹シャブを食べさせて貰った。北海道に長く住んでいたが、東京の人の方が蟹料理に詳しくて驚いた。
浜の人たちは歯に衣を着せない人が多いですね。なんでもストレートで話します。田舎の大酒のみの父が来札時に美味しいタラバを食べさせようと奮発して「氷雪の門」に連れて行きました。氷の舟に載せられたタラバが出てきました。喜んでもらえるものと高をくくっていたところ,何と?「大味やなあ~?」と来た。さらに「やっぱり,蟹は越前蟹やなぁ~!」と。せっかく財布を叩いて振舞ったのにガッカリしてしまいました。考えてみれば実家は旅館ですから,越前蟹などもいつでも食べられる環境でしたから,味を比べられたのは仕方がない事でした。浜の人たちには野菜中心の料理かジンギスカンのほうが良かったようです。
前職で本社社長が来札すると,必ず懇親会に北海道らしい海鮮料理の店に行ったものです。もちろん大阪本社の社長ですから,大変喜んでくれました。ところが?「君らは幸せやなぁ~毎日こんな美味いもんばっかり食べられて」と来る。「我々はそんなに給料もらっていません!」と言いたい所ですが,グッと我慢して笑ってごまかしていました。蟹だってホタテだって刺身だって北海道民が毎日食べられるものではありません。年に一回か二回食べられればいい方ですが,向こうの人たちはきっと地元だから格安で食べることができると思っているのでしょうね。大間違いです。
支社・支店の単身赴任・出張族は、幸せそうでしたね。一人でも、小料理屋でおいしいものを見繕ってもらいながら、一杯やって帰る毎日で、ススキノについては、地元民よりよほど詳しかったです。また、会社単位でいい店の申し送りもやってるようでした。
支店長・支社長クラスが代わると、北海道はたるんでるとばかりにシステムの見直しが始まり、我々取引先にも、今まで通りには行かないからと警告が来るのですが、そのうちススキノに懐柔されて、元通りになったものです。会社にとってはけしからん話でしょうが。
田舎の漁村で喜ばれるのは北海道の野菜類です。ジャガイモは特に喜ばれます。向こうからは鯛やイカやブリや若狭ガレイや干物や柿などを送ってくれます。我が家ではジャガイモは長沼の農家へ直接買い付けに行きます。30kgほどを送りますが,重量物で送料が高くつきます。でも喜んでくれるので気にしない事にしています。北海道には美味しい玉ねぎや螺湾葺やアスパラガスや都カボチャ(手稲山口のブランド)など自慢できる食材が数多くあります。初めは荒巻鮭ばかり送っていましたが,最近では主に野菜類ですね。
京都は野菜は採れても,そのほかの食材はすべて他県に頼っている。そのため加工品が栄え,北海道の昆布を加工して堂々と京都名物として商いをしている。したたかだ。京が都の時代の名残で優れた食材が集まるルートも出来上がっている。裏を返せば加工品でしか商いできない土地柄でもあったのでしょう。僕の田舎の漁村あたりの若い衆が寿司の修行は京都へ丁稚奉公していましたし,加工品のメッカとも言えますね。友禅染や西陣織なども原反は福井あたりが生産地ですが,昔の染めや織の技術は京都でした。或る時,京都の西陣あたりのタバコ屋さんに煙草を買いに行ったところ,店番のおばちゃんに「あんたはん?福井のお人やろ?」と言われてびっくり!僅かなイントネーションで見破られてしまいました。「なんで?」との問いに,「この辺はな,元々福井の人らがぎょうさんおるんや」と。京都は食材だけでなく繊維でも。