囚人と食い詰め者の大地

北海道人は囚人と食い詰め者の子孫と言う人がいる.当然ながら,そういうことを言うのはほぼ道外の人である.私自身も,かなり若い頃から,何度もそういう言葉を聞いたが,結論から言うと,これは真っ赤なウソである.まず囚人は子孫を残せないし,道外で通用しなかった食い詰め者が生き残れるほど甘い環境ではなかった.

囚人というのは,網走刑務所が有名だから程度の認識で言ってるのだろうが,刑務所があるからというなら,東京拘置所や府中のほうがずっと有名だ.また多少歴史に詳しい人なら,樺戸集治監を引き合いに出すかもしれないが,ここに入れられたのは主に西南戦争で西郷側についた政治犯である.
では北海道の開拓者は,食い詰め者だったか.これはどちらかというとエリート集団だった.明治政府は全国の藩に蝦夷地開拓の許可を与えた.いわば戊辰戦争の論功行賞がわりである.全国の藩主は,自藩の植民地として新しい経済の柱にするため,家臣団を送り込んだ.藩をあげての事業であるから,家老クラスを中心に精鋭が送り込まれた.私自身,道内在住の加賀藩,伊達藩の家老の子孫に会ったことがある.
蝦夷地が植民地なら,開拓が終われば上級武士は帰国し,代官を置いて収益を送らせればよかったのだが,明治4年,開拓使は土地の所有者を現地の居住者に限るという通告を出した.藩が開拓地を所有することを認めないというわけだ.これは事業を成功させ,故郷に錦を飾ることを夢見ていた武士には酷な話で,多くの武士が帰国した.が,膨大な資金を投入した事業を手放すわけにもいかず,責任ある立場の武士が残って開拓地を経営することになった.北海道にはこういう人たちの子孫が大勢いる.高い能力と責任感を持ちながら,政治に翻弄されて貧乏くじを引いた人たちである.

しかし,北海道の開拓移民は明治時代だけではない.政府は太平洋戦争終戦後にも,大量の引き上げ者対策として,現在の別海町など,道東の原野への入植事業を行っている.この人達もまた,貧乏くじを引いた人が少なくなかった.

次回「移民たち」(2/2)公開予定
乞うご期待!

3 thoughts on “囚人と食い詰め者の大地

  • 1月 27, 2017 at 17:05
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    風習でも食べ物でも、間違いなく北海道発祥というのは少ないですね。北海道全域に広まっているものが、本州のあまり知られてない地域にルーツがあったりします。たまたまその地区から入植した人にリーダーシップがあったとかではないでしょうか。スープカレーは間違いなく北海道生まれですが、それより古いものは「?」です。人柄もそうで、豪快で北海道弁丸出し、フロンティアスピリットあふれる、なんていう人に限って本州生まれだったりしますね。

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  • 1月 27, 2017 at 12:18
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    本州と北海道の温度差は最近だいぶんなくなりました。昔,本州に居た頃は北海道は「外国」と思っていましたから。東北弁さえよくわからないのに,更に北の北海道ならなおさら言葉も通じないと思いましたね。もしかしてロシア語に近いのかと思いました。実際はむしろ,標準語に近かったです。方言には日本各地からの入植者が持ち込んだ言葉やイントネーションが含まれていて,北海道特有の文化になっていますね。

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  • 1月 27, 2017 at 12:10
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    北海道は島だから「島流し」の言葉のイメージから「囚人」などの話になったのでしょうね。一方,杭詰め者の解釈は少し違うのではないでしょうか。本州の風習で,長男坊が家を継ぐのが習わしで,長男以外は田畑を分けてもらえず,他に生きる道を探さなければならなかったのでしょう。狭い山間の段々畑や棚田しかない本州では将来性も無く,他県に移住せざるを得なかったのでしょうね。そんな時,北海道への移住は渡りに舟だったのでしょう。主に農家で育った人達は新天地で,苦労しながらも,これまでの経験を活かして開墾していったのでしょう。みんな同じ境遇の人々が全国(特に土地の狭い裏日本)から集まった北海道は厳しい自然との闘いの中で,北海道独特の人情や強い絆が生まれたのでしょう。

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