国史教科書

明治天皇の玄孫で作家の竹田恒泰氏が代表を務める「令和書籍」の歴史教科書、「国史教科書」を読んだ。代表者の出自や、何度か検定に通らなかった事で話題になり、一部からは教育の右傾化を懸念する声もあった教科書であるが、通読した感想は「普通」。他の教科書と比べていないので独断だが。

古事記、日本書紀などに関する記述は多い。どの国でも、国の始まりを記述した神話がある。内容は非科学的で偏ったものかもしれないが、それが神話の良いところだ。また、戦前戦中の日本や、戦後の近隣諸国との関係についてもしっかり書かれている。そこが気に入らないという人もいるとは思うが、政府の公式見解を繰り返しているだけなので、あまり思想性は感じない。むしろ、右派から物足りないと言われるのではないかと思うほどだ。

もちろん欠点はあって、よくも悪くも教科書だというところ。事実が淡々と書かれているだけなので、決して面白くはない。特に歴史はそのまま物語になるエピソードの積み重ねだが、面白い部分をわざわざスルーされているような読後感がある。そして分厚く内容は多い。本当に今の中学生はこの内容を覚えて受験しなくてはいけないのかと思うと、気の毒なくらいだ。

4 thoughts on “国史教科書

  • 11月 12, 2024 at 10:29
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    テロなどは信心深い人には出来ないのではないでしょうか。人の命を奪うと言う事は、最悪の手段ですから、そんな教えをする神仏など何処にも存在する訳がありませんね。神仏の名を語る事自体が、既に罪ですから、賢明な人は自ら罪を犯すような事はしないでしょうね。

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    • 11月 12, 2024 at 11:18
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      国史教科書では、ところどころに当時の天皇の真意について書かれています。以前、明治天皇の北海道行幸について調べたことがありますが、分刻みで各地を巡る過酷なスケジュールでした。馬車なので現代人にはとても耐えられないでしょう。北海道にとっては、天皇が来られるくらい開拓が進んだ証ですので、ぜひ来てほしかったところでしょう。ヒゲの写真が印象的ですが、明治の即位の際はわずか15歳で、それから絶えず全国を回っていたようです。本当に「現人神」だったら別ですが、体は人間なので大変だったと思います。竹田氏が、「自分のひいおじいちゃんはすごかったんだぞ」と、ちょっとくらい自慢してもいいんじゃないかと思いますね。

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  • 11月 12, 2024 at 07:54
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    竹田氏はTV番組で拝見していて彼が明治天皇の直系と聞いていました。天皇と言えば『昭和天皇のお名前から一字拝借してお前の名前を付けたんだ』と父が言っていた事を思い出しました。当時としては恐れ多くて他人には言えなかった筈です。父の父、祖父が伴僧だったので、母屋には40畳の部屋に備え付けの巨大な金ぴかの仏壇があり、武生市のお寺から坊さんが来られて父が若い頃描いた水墨画の屏風に囲まれた専用の部屋に泊まり込み、お経やお説教を聞きに村人たちが集まる家でした。祖父は一緒にお経を上げていたようです。田舎の各家庭には神棚も仏壇もあって、朝起きれば両方に炊き立てご飯を上げて拝んでいました。小学校でも昼食時間の初めにも終わりにも神と両親に感謝の『箸とらば~天土御代の御恵み~~いただきます。ご馳走様』と両手で箸を挟んで目をつぶって拝みました。毎年、神社のお祭り前には神聖な神の僕として子供達だけで境内の杉の木に縄を張り巡らせてそれにトゲの有るタラの枝を下げて大人たちが入れない様にしました。お祭り当日には入口の縄を切って、誰でも参拝できるようにしました。鎮守の森の無人の神社のお堂は雨の日の子供たちの集会所でメンコをしたりして遊びました。神仏共に身近に馴染んだ田舎での少年時代もあり、また父が東京在住時代には浄土真宗大谷派の家に生まれて居ながら、何と?キリスト教のミサにも行っていたと聞いていた事もあって、神仏へのアレルギーは全く無く、今でも毎朝、十字は切りませんが、仏壇に御膳を上げて今は亡き親族や知人の名前を思い浮かべ暗唱しながら拝んでいます。余程の問題がある神仏に名を借りたもの以外は、宗教は個人の自由ですから批判もしないように努めています。神代の神話も宇宙的な事が殆どですが、誰も事実を知らない訳ですからあくまでも神話としておくのがいいと思いますね。神道のおおもとの信者の家庭の友達が居ますが、見事に数種の祝詞を暗記していて、神社に行くと声を上げて詠みあげます。その見事さに参拝客は皆振り返り、同行した自分も爽快な気分に成りますね。日本古来の風習は残すべきですし、歴史や宗教も文化として保存して守りたいですね。先日は、薄野の南7条辺りにある成田山に参拝に行ってきました。父が東京で陶器の商売をしていた頃に成田にお土産店を出店していて、子供の頃に私も『封店の寅さん』よろしく成田山の身代わり札のお守りを首からぶら下げていた事を思い出したからです。千円でお祓いもして貰いました。お寺には荘厳な雰囲気が漂って居ますね。太古の歴史には神仏の話は欠かせませんね。しかし神代と言って神が先で仏は後になって居ますが?真実は如何に?ですね。

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    • 11月 12, 2024 at 09:33
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      宗教というと、昭和人からはボロクソに言われますが、宗教に結びついた習慣は良いものだと思います。私は罰当たりに生きてますが、それでも道で僧侶や神父さん、シスターと行き違うときは、片手ですが拝んで会釈しています。神主さんとは出会ったことがないですが、あの格好では出歩かないのかもしれません。それと今は見かけなくなりましたが、家の玄関に黄色い忌中の札がかかっているときも手を合わせて通り過ぎるようにしています。そういうのは信心深いとも言えない、ごく普通の所作でした。どの宗教も、お題目や念仏を唱えたり十字を切ったりという、誰でもできることを続けようというのが最重要なはず。なんでもテロリストや地域紛争と結びつけて語るのは、インチキ教の教祖と同じくらいに傲慢で、無礼なことだと思いますね。

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