島松駅逓所

先日知人に誘われて、国指定史跡である島松駅逓所(しままつえきていじょ)を見学した。駅逓所というのは宿屋と郵便局が一緒になったもので、開拓農家などしかないような地域に作られる、集落の機能の始まりのような施設である。これは北海道だけに見られるもので、小さな集落でも数百年前から自治の機能が整っている本州などにはないものだ。

外観を見ただけでも、屋根の勾配がかなりゆるい上に明り取りの塔屋があるなど、雪で屋根の負担が大きい北海道に適しているとは思えないが、その分日本建築としての美しさが備わっている。建設は明治6年とあり、当時は同様の施設が全道に600か所以上設置されたという。同時期に北海道開拓使旧庁舎が建造されていて、その後、札幌時計台など、北海道の官製建築物らしいアーリーアメリカンな木造洋館が建てられていく。だが明治6年に全道に建築を大量発注するには、洋風建築の知識のある棟梁がいなかっただろう。人員や木材の手配、地域の将来を見据えた場所選定など、さまざまな未知数の中で行われた野心的な事業だったと思う。

建物内部は、長い土間が特徴的だ。また、室内にさらに伝統的な民家や寺社などの縁側を備えた建物が置いてあるようにも見える。だから土間があるというより、本州の強い日差しを避けるための設計である深い軒の先端に、戸板を並べてみたという印象がある。
島松駅逓所は北海道の歴史を物語る史跡でありながら、道内ではあまり見られない、夏に焦点を合わせた日本建築の香りを色濃く残している。暑い日にその室内にいると、北海道人にも残っている日本人のDNAが懐かしがってるような気がする。

※平面図などはPDF資料しかないようなのでこちらをチェック

2 thoughts on “島松駅逓所

  • 6月 28, 2023 at 04:42
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    屋根材が木端葺きですから北海道向きとは思えませんが、現に今に残されているところを見ればメンテナンスも大変ではないかと思われます。でも、本州と違って瓦葺にしなかったのには理由が有るのでしょう。瓦は雨や湿雪に強く、台風などの強風もその重量で家屋を支えますが、北海道は厳寒地で置いただけの瓦の隙間の水が凍ると同時に膨張した氷が瓦を持ち上げスガモリになるから一般的に使われないのでしょう。夏場は比較的台風なども少ない北海道で、冬場には雪で覆われ、雪も一種の断熱効果になったのかも知れませんね。時折見かける古い質素な木造建築で今も残っているのを見ると木材の意外な強さを知らされます。

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    • 6月 28, 2023 at 09:00
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      明治初期だと、北海道人はほとんどの人が本州生まれなので、入植者はとりあえず伝統的な家を建てて住んだと思います。冬は大変だったと思います。庭の見える縁側のある伝統的な家は、夏は最高ですがこちらではまず見ませんね。昔本州の観光古民家で、自由に入れる部屋があったので、横になって縁側を眺めていたら、帰りに気がついたら何人か同じように寝てました。伝統的な建築は、何百年もの試行錯誤が形になってますから、その空間をどう使うといいか自然にわかりますね。

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