絹の発祥地は中国で、その歴史は木綿より古い。産業革命でイギリスにトップの座を譲るまで、中国は世界の工業生産高ランキングのトップでありつづけた。中でも大きなウェイトを占めたのが絹と絹織物で、そのための交易路が「シルクロード」の名で現代まで残っているほどである。その中国でも、動画の舞台と言われる四川省は、繭の生産が全国第3位である。
今回の 李子柒 は、昔ながらの養蚕と真綿づくりがテーマである。絹というのはカイコからとった真綿を撚って糸にした状態を言う。春、生まれたばかりのカイコに刻んだ桑の葉を与える。最初は一握りほどでよかった桑の葉も、カイコの成長にしたがって、かごで何杯もの量が必要になる。カイコは、床に撒かれた桑の葉の上で、日がな一日葉を食べて暮らす。
昔、子供が小学生の頃、教室学校で飼っているカイコを夏休みの間預かってきたことがある。私は、がんばってお世話しようね、と口では言ったものの、ケージから逃げ出してそこらへんにころがってたらどうしようと、戦々恐々だったが、連中は桑の葉のある場所から一歩も外へ出なかった。カイコというのは完全に家畜化され、人間が手を貸さないと生きていけない生物になってしまったのかもしれない。
繭をつくりはじめたカイコは、豆の枯れ枝に移し替える。カイコは生糸を吐き出して繭をつくり、中で蛹になる。繭ごと湯で煮て、蛹を殺す。ゆでた繭を洗う。まゆを手で開いて袋状にし、死んだ蛹を取り出す。繭を広げて竹でできた枠にかぶせる。強い一本の糸だから、膜状に広がって数枚重ねたものを水中で伸ばして、さらに大きく広げて重ね、干す。450gの生糸をつくるのに2500匹のカイコが必要だそうだ。
干した真綿の束を何層か重ねて、一箇所切り開く。この状態のものを4人で4隅を持って伸ばす。糸が絡まってごく薄い膜になっても破れず広がる。まるで霞のような薄膜を無数に重ねていって、いわゆる真綿の布団のできあがりである。
札幌にも桑園地区が有るくらいですから、きっと歴史をたどれば養蚕事業もやっていたのではないでしょうか?。僕が最初に住みついたのが桑園で、次が手稲で、その次が医大前で、次が円山地区でした。大麻や麻生や藍の里など繊維産業と関係深い地名ばかりですね。
真綿の布団に仕上げるところは初めて見ました。田舎に養蚕の家があって見ていました。桑の葉を食べる虫たちを見て、幼い頃は気持ち悪かったですね。蚕は桑の葉を食べますが、僕たちは桑の木の実、桑イチゴを採って食べていました。口の周りを紫色にして。蚕から見れば僕たちの方が気持ち悪かったのかも知れません。北海道に来て北大植物園で桑の実を見つけて習性で採って食べました。植物園ではタブーでしたね。きっと。
北海道では養蚕農家がなかったのか、蚕といえばモスラの幼虫のイメージです。それも、ずっと後になってから、あれは蚕だと知りました。でも、当時のほとんどの日本人は見ただけですぐわかったのでしょうね。身近な生き物だったから、モスラも愛嬌のある顔をしてましたが、まもなく公開されるハリウッド版ゴジラ新作に登場するモスラは、ただの怖い蛾になってました。