
今年はいよいよ東京オリンピック。だから2月29日がある。ロゴの盗作、競技場の設計し直しなど、ここまでくるあいだに、実にいろいろなことがあった。挙句の果てにマラソン会場の変更である。これには札幌市民もただ驚くばかりで、開催にこぎつけた東京都民他関係各位の気持ちを思い、2002年のサッカーファンの気持ちを思い出せば、とても喜ぶどころではない。実のところ、何度も検索し直して、間違いではないことを確認したくらいだ。
東京の夏がマラソンができないほど暑いことくらい、1964年大会の計画時でさえ分かっていたはず。そのために10月開催になったほどだ。今大会が夏の開催になり、会場が移転することになるまでの間には、さぞかしくだらない経緯があったと思う。で、本当にやるの?
とはいえ開催に反対なわけではなく、つつがなく執り行われることを願わずにはいられないのであるから、厄落としに、どんなズルもありの「パクリンピック」を先行開催するのはどうだろう?ドーピング、フライング、男女身代わり、階級ごまかしなどは、試合前のチェックをとりやめ、各種センサー類をとりはずすだけで、自然にやらかしてくれるだろう。さらに脚にバネを仕込んだり、ドローンでライバルを妨害したり、幅跳び、高跳び、重量挙げなどの緊張の一瞬に客席で腹踊りやブーブークッションをかます。中継動画の配信ではCGも使えるかもしれない。
そして全種目、審判はプロレスのレフェリーにやってもらう。凶器攻撃だけ見つけてもらえれば、あとはルールなんて知らなくても良いのだから。
というようなふざけたことを書いて1月に予約投稿しておいたら、ここにきてコロナウィルスのせいで開催を危ぶむ声が上がってきた。もしそんなことになるとしたら…。開催月の8月とは言わず、開催決定期限の5月まででもいいが、ずっとコロナ肺炎が終息していないということになる。
人類はウィルスなどよりはるかにしぶとい生き物だから、そんなことで目に見えて人口が減ることはないと思うが、経済への打撃は大きい。それは単にオリンピックの中止による損害だけでない。コロナ肺炎がいずれ終息したときには、喉元すぎればなんとやらで、「日本はたかが(そのころには治療法ができてるから)コロナ肺炎で、オリンピックを中止してしまった国」という歴史が残る。また、どんな重大なイベントでも、伝染病が流行すれば中止してしまえばいいという、お役所好みの風潮が広がる。その風潮はエスカレートしていくだろう。子供が一人でも鼻水を垂らしていたら運動会は中止、というふうに。
ここで予言するが、もしオリンピックを中止したら、間違いなく8月までにはコロナは終息しているし、東京は涼しい風が吹き抜ける絶好のスポーツ日和が続く。そして多くの人の心に、やっぱり開催していれば良かったという苦い思いが生まれ、このまま日本はだめになるかも知れないという漠然とした諦観が社会を覆うだろう。根拠はなにもないが、人生とはそういうものだからだ。そのあきらめは年寄りには馴染み深いが、将来のある若い人には猛毒になる。
それでも中止してしまったら…。オリンピックで使うはずだった予算やネットワーク等々を生かして社会と経済を活性化する起死回生の方法が、たった一度だけある。オリンピックをやめてどうするんだ日本、という世界中の注目が集まってる、そのときにしかできないウルトラH、それが表題のパクリンピックである。(※ 64年東京大会ではウルトラCが話題になったが、今はウルトラHまであるそうだ)