私がインターネットにはじめて接続したころ、海賊関係のサイトを発見してよく見に行っていた。物語や歴史上のではなく、マラッカ海峡やソマリア沖などに出没する現代の海賊について、セミナーや研究会の成果を交換し合うサイトである。今ではブックマークをなくしてしまったが、日本船主協会や外務省、防衛省、ではさまざまな対策が行われ、海賊が今なお最先端の問題であることがわかる。
当時、世界中の海賊対策の担当者の間で、日本の「刀狩り」が話題になっていた。言うまでもなく、豊臣秀吉が天下統一の後、全国規模で実施した武装解除のことで、「刀」とは言っても実質は鉄砲を放棄させた事業である。
当時の日本は、ポルトガルからの鉄砲伝来の後、急速な勢いで国産化が進み、世界で最も多くの鉄砲が存在していた。鉄砲は当時の合戦の基本で、信長だけが持っていたのでなく、すべての戦国大名、寺社仏閣の荘園、町や集落までが、ことごとく鉄砲で武装し、自衛していた。これらすべてが戦闘を経験したかどうかはわからないが、むしろ平和でいられた集落ほど、鉄砲のおかげで被害を免れたと考えたはずだ。その鉄砲を取り上げようというのである。秀吉が都でどんな地位につこうが、天下取りを宣言しようが、地域の集落が簡単に鉄砲を手放すわけがない。どんな大軍で押しかけようと、去ってしまえばまた武装する。つまり秀吉の刀狩りは、いちいち現地に赴き、周辺の対立勢力ともども利害を説いて根気強く説得し、納得ずくで放棄させたということである。この研究をすることで、海賊問題の抜本的な解決ができるのではないかと期待されていたのである。
戦争に勝つことはできても、武装解除は難しい。世界最大の軍事力と経済力を誇るアメリカでさえ、アフガン撤退の後にかえって多くの武装勢力を生み出してしまった。
秀吉は商人なども経験して、異例の出世を遂げた人物である。トランプ氏も、ISの根絶に向けた動きを開始したが、なんとかこれまでの大統領ができなかった真の刀狩りを実現して欲しいものだと思う。
日本のような国土の狭い島国には,海賊がもっと現存していてもおかしくないと思うのですが?現代では余り聞きませんね。小さな島も沢山あって船を隠すにはもってこいの地形ですが,敗戦後は日本も大人しくなってしまったみたいですね。北前船の時代にはきっと海賊も居たのでしょうね。
我が家のは短刀で,「刀のツバ」は無かったですね。それでも白木の鞘に変えられていて,警察に登録していました。中学の時に剣道をやっていたので刀には興味がありました。隣のおばさんが「脇差」をくれると言うので喜んでいたのに?父から猛反対されダメになりました。簡単にくれると言うのですから登録もされていない昔からの遺品なんでしょうね。最も,我が家の家宝?の短刀でさえ手裏剣みたいに投げて部屋の畳目がけて床板まで刺して剣先を欠けさせたりも。その上,脇差など貰ったら父が大切に育てていた庭木を「試し切り」などにし兼ねなかったはずですからね。もし,やっていれば,脇差も刃こぼれ起こしていたかも知れませんね。ところで,鉄砲狩りから逃れた無登録の鉄砲などあるかも知れませんね?。火縄銃とか。
最初から軍刀にするためだったかもしれませんね。刀を溶かして鉄砲の弾というのは、ちょっと「?」ですし。我が家にも軍刀が一振りあったそうですが、これは戦後に提出したようで、鍔だけ残っています。GHQの意向でしょうから、いわゆる武装解除です。戦中にはなんと釣鐘が供出されました。そんなことをするから、バチが当たって負けたんだろうと...
戦時中にも刀狩りがありました。田舎でも鉄砲の玉に変えるためと,刀剣類を拠出させられました。ところが,中でも名刀は軍の上層部のサーベル代わりになったり,どこかの将校の私物に成ったりしました。僕の田舎の友達の土蔵には拠出を免れた鎧どおしなどもありました。みんなが刀狩りに協力したと見せかけて実は家宝にこっそり隠していた刀も沢山ありました。我が家には短刀がありました。