まずは、防衛省の発表から。
潜没潜水艦及び中国海軍艦艇の動向について(第1報)
1月10日(水)午後、海上自衛隊第6護衛隊所属護衛艦「おおなみ」(横須賀)及び第5航空群所属「P-3C」(那覇)が、宮古島(沖縄県)の東北東の接続水域を北西進する潜没潜水艦を確認しました。
その後、当該潜水艦は引き続き北西進し、1月11日(木)午前、宮古島の北北東の接続水域から出域、東シナ海に進出しました。さらに、当該潜水艦は1月11日(木)午前、大正島(沖縄県)北東の我が国接続水域に入域したことを確認しました。
潜没潜水艦とは、水中に潜んでいる潜水艦のこと。隠れて攻撃ができる戦闘状態にある、ともいえるが、「ありゃ、発見されちゃったの!?」と、世界中で大笑いするところでもある。
潜水艦の特長は隠密行動だ。海中はレーダーも電波も使えないので、一旦潜ってしまったらまず発見できない。アンテナの先でも水中から出さない限り、味方と連絡を取ることもできない。だからいきなり東京湾に浮上して、誰にも邪魔されずにミサイルをぶっ放すこともできる。
その代わり、一旦発見されたら非常に弱い。味方にさえ見えてないのだから、発見したという発表をしないで、そのまま撃沈してしまっても誰も文句は言えない。次に無線連絡をしてくるまでどこで何をしているのかわからないのだが、その連絡が永遠に来ないだけだ。
どこの国の潜水艦か発表してないところもポイントで、もちろんあの国だとわかってはいるのだが、「どこの誰か知らないが、潜水して近づくととんでもない目に会うぞ」と警告しているわけだ。
日本海は、日本の潜水艦作戦の独壇場だ。大分昔に海上自衛隊の幹部の講演を聞いたことがあるが、日本海で何処かの潜水艦が潜望鏡を上げたら、その瞬間戦闘機と護衛艦が駆けつける体制ができているそうだ。とにかく潜水して航行する潜水艦は敵なので、冷戦時代は、米ソを問わず、潜水艦を見つけ次第追いかけ回して相手の音を録音し、ソナーを当てて追い払っていたという。レーダーの使えない水中では、潜水艦の発する独自の音が頼りなので、それを録音されてしまうと自分の動きが筒抜けになってしまう。さらにソナーを当てるというのは、魚雷の狙いをつけたぞということだ。
発表では11日午前中に発見とあるが、間違いなくそれよりずっと前に見つけていただろう。日本の潜水艦が後を尾けていたかもしれない。日本の潜水艦といえば、こと日本海では乗員の技術は世界一なうえ、世界で一番深いところから発射できる魚雷も持ってる。そして対潜ミサイルや魚雷をたっぷり積んだ護衛艦まで加わって、まる1日追いかけ回したのである。某国の船員は、生きた心地もしなかっただろう。丸裸にされ、背中からバンバン威嚇射撃をされながら逃げ惑うようなものなのだから。
15日の朝日新聞朝刊に、中国が潜水艦をバングラデシュ、などにインド洋に面した三国に輸出の記事がありました。狙いは中国製潜水艦の寄港できる港湾工事と称して、中国海軍の潜水艦が停泊できる港をインド洋に作る事、メンテナンスと称して共同訓練や、海底や音波と海水の関係データの取得など中国海軍の行動海域拡大のようです。しかし日本やアメリカやロシアなど潜水艦については歴史があり、数十年にわたって膨大なデータも持っている国々と対抗するには気が遠くなるほど年月がかかるらしいです。
先日の潜水艦は逃げ回った挙句、浮上して国旗を出しましたね。国籍不明なら沈めるぞというところまでプレッシャーをかけたのでしょう。相手は原潜だったようですから、万一沈められたら莫大な建造費用と、育てた人材がすべておじゃんで、防衛計画は何年も後戻りです。誰がやったか、事故なのかさえ断定できないですから、やられ損です。第一報では潜水艦の国籍については何も言ってませんでしたが、わざと国籍不明艦として扱うぞというメッセージだったんでしょう。中国も国籍を明らかにしたら非難されるので、沈んだまま逃げおおせたかったでしょうけど、そうはさせなかったというところですね。
潜水艦には、データだけでなく人間の練度も重要です。海中には地形だけでなく、温度や塩分濃度の違う川のような水流が流れていて、それが季節などによって変化します。その境目で音が屈折するので、そういう知識がないと音源がどっちにあるのか判断できません。また、魚群や鯨の音なども聞きわけなければなりませんが、こういうのは乗組員が代々教えていかないとならず、コンピュータでは判断できないそうです。
以前オホーツクの漁協のえらいさんが、サロマ湖のことなら、湖底の凹凸まで分かってると言ってましたが、日本の潜水艦乗りも同じレベルで日本海のことを知り抜いているのだと思います。
そんな江東区北砂生まれの僕は焼夷弾が降る中を防空頭巾の上からブリキのバケツを被れて防空壕に寝かされていたそうです。もちろん生まれて間もない本人は知りません。集中攻撃を受けたところに生まれて今、こうして生きているのが不思議な位です。
今は亡き、日の丸航空隊の兄から、夜間の空母着艦も目視飛行で命がけだったと聞きました。空母の甲板からの離着が難しいと言うことは、潜水艦の艦載機の離着はどんなに難しいことなのか想像もつきません。当然ながら翼を畳む形式の艦載機だとは思いますが、相当な訓練を強いられた選りすぐりの航空兵だったのでしょうね。僕もパイロットにあこがれましたが、兄の話では、「計器がビッシリあって自動車どころじゃあないよ」と言われてあきらめました。もちろんゼロ戦ではなく、セスナ程度を考えていたのですが、一度空撮の帰りに知り合いのパイロットに、あこがれの操縦かんを握らせてもらいましたが、気流に合わせてフラッグの操作が微妙で疲れました。それ以上やれば墜落事故に成りかねませんから、丘珠に到着前にやめました。
空母のパイロットとは優秀ですね。世界史の中で、空母を実戦配備したのは日本とアメリカだけ。まして当時のことですから、世界トップレベルのパイロットだったということです。
潜水艦のほうは水上飛行機でした。翼をたたんで格納して、現場で広げてカタパルトから飛び立ちますが、ポトンと目の前の水面に一度おりて、そこから水上を滑走して飛び立てばよかったはずです。帰りも着艦は絶対にムリなので、一旦着水し、潜水艦のクレーンで収納しました。真珠湾の後、アメリカもやられっぱなしではいないぞとばかり、空母にB17爆撃機を2機載せて、しゃにむに東京を空襲しました。もちろん着艦できないので、そのまま日本を通り越して中国の重慶に降りたそうです。どっちも実効性より、ビビらせ合いという感じですね。
飛行機の操縦経験があるんですか。すごいですね。丘珠ということは、頭の上を飛んでいたのかもしれませんね。
トラトラトラと真珠湾攻撃の最中に東京湾でのんびりハゼ釣りをしていた風流人の父も、知らないうちに長男の息子が予科練に入隊していたりと情勢が悪化したことで、瀬戸物屋を辞めて親戚の鉄工所に監督で勤務。そこで潜水艦の内部の冷却装置を作っていたそうです。潜水艦は海底では相当暑いのでしょう。今で言うエアコンなのかどうか?は不明ですが、あの頃から日本の潜水艦は結構活躍していたんでしょうね。お陰で父は息子とは反対に戦争に行かなくて済みました。
真珠湾攻撃の後、日本軍は潜水艦でアメリカ東海岸に近づき、飛行機を発進させて本土を空襲しました。これが現在の原潜からミサイルを撃つ戦略の元になったそうです。ハワイも、東海岸も、自由に爆撃できるんだから観念して講和会議をと言うことだったんでしょう。ところがアメリカには薬が効きすぎて、息の根を止めない限り安心できない、という世論になってしまいました。侍同士の合戦の感覚でいた日本には、庶民の多数決で決まる民主主義国がよくわかっていなかったのかもしれません。
そういう高性能な兵器が、お父さんがなさっていたように町工場で作られていることを知ったアメリカは、東京大空襲では、小さな工場が密集している江東区などを中心に狙いました。絶対に褒められたことではないものの、戦争というくらいですから、どっちも必死だったということでしょうね。