以前、音楽やスポーツの練習に関する、ある学者の説を読んだ。それによると、間違った箇所は繰り返し練習してはいけないという。何だか逆のような気がするが、何度も繰り返し練習すると、脳や神経が間違ったやり方を「学習」してしまうのだそうだ。何度も同じように間違うようになり、違うやり方が難しくなるらしい。
このことはバイオリンを買った直後に知り、以来これを肝に命じている。弾き初めに「ここまで」と決めた箇所まで、途中で失敗しても、テンポをキープしたままとにかく弾き切ってしまうのだ。すると不思議な事に、もうワンセット弾いてみると、必ずしも前回失敗した箇所で間違うわけではないのだ。もちろん、別な箇所で間違うのだが。
そんなことを繰り返していくうちに、全体的に失敗回数が減ったり、余裕をもって弾けるようになる。ただしこれをするには「勇気」のようなものが必要で、失敗したと思うと、反射的に手を止めたり、弾き直したりしてしまう。その「弾き直し本能」を精神力でねじふせて、ぐちゃぐちゃになってもいいからテンポよく「推して参る」のである。こうすると弾き終わりの爽快感が格別なのだ。その分気疲れして、5分から10分で、そこそこ疲れてしまうが、それが、短時間でも集中して取り組む、ということなのだと思う。
有名人ではないが、ステージで演奏する機会のある人が言ってたが、演奏とは「顔でするもの」なのだそうだ。たとえ間違っても、自分はそう弾きたかったんだという顔をする。今、乗りに乗った恍惚の境地で、ほとばしる情熱に指がついてこれないが、このまま突っ走る。内心のヤッチャッタ感を押し殺し、そういう顔で弾き続けるのが心構えなのだという。自分も、年寄りならではの図太さ、無神経さを、そういうふうに活かしたいものだと思う。
それはいいかも知れませんね。アレンジしたと自らに言い聞かせれば納得ですね。楽譜に無い部分を自由に演奏すればその人の奏風が出来上がるでしょうから、絵画などで言う独特の作風と言う事でしょうね。
へんな音が出たからと言って、そこで演奏を止めてしまうとただの変な音ですが、流れを止めずに押し切ってしまうと、そういう演出に聞こえることがあります。あのプレイヤーのあの演奏はこうやっていたのかと、思わぬ発見もあります。オーケストラの団員だったらそういう間違いは許されないでしょうけど、ジャズなら仲間がフォローしてくれますしね。