先日、「高齢者は年寄りの初心者」と書いた。高齢者は何かと能力が衰えるが、それに慣れてるわけではなく、気づくたびに驚いているという内容だったが、これを言い換えればタイトルのようになる。自分で書いててイヤな気分だが、われわれの若い時代・昭和は、まさに「ヤング」の時代だった。「青春」という言葉が乱れ飛び、若さの素晴らしさを聞かされて来た。若さは可能性、若ければいつかどんな夢でも叶うと。なんのことはない、団塊の世代を中心とした若年購買層に向けた販促メッセージに毒されていたわけである。
今は、「青春」という言葉はほとんど見かけない。若い人に「若いって素晴らしい」と言っても、「ブラック勤務のどこが?」と言い返されるかもしれない。酒を飲んで朝まで語り合う醍醐味を語っても、「それってネットでもできるよね」と言われるだろう。車離れ、未婚率上昇など、高齢者が若者に感じる違和感は、どれも高齢者が昔の基準で考えたヤング像と比べるせいで、彼ら自身はふつうに生きてるだけだ。
どうも高齢者がいつまでも若さにこだわると、良いことはないようだ。そこでいっそ高齢者も、年寄りを先取りしてはどうかと思う。杖をつき、和服にカンカン帽で、「ワシはこう思うのじゃよ」などという話し方をする。電車で席を譲られてショックを受ける前に、「すまんが腰が痛むので、席を代わってくれんかのう」と言ってみる。多分、若者たちの心遣いに触れることができるだろう。怪しげな「年老いたヤング」ではなく、社会が考えるような絵に描いたような年寄りになったほうが、彼らとの話も通じやすいような気がする。まあ、別に話が通じなくても、彼らには関係ないのだが。
幾つもの時代を生きて来た我々が若者たちに教える事など無くなりましたね。むしろ彼ら彼女らから教えてもらう事の方が多くなりましたから。昔の道徳とか礼儀作法とか昔の尺度では測れなくても、現代に生きる上で必要な物差しはすっかり変わっています。ですから測れない誤差が生じてしまうのです。若者たちへの批判的な見方も、ともすれば間違っている場合だってあります。最悪事例ですが、新型コロナウイルス感染拡大を押さえ込もうと政府も自治体も躍起になっていますが、若者たちには一向に効き目がありません。店舗での酒類提供を辞めさせても、コンビニで購入した缶ビールなどの酒類で「路上飲み会」とか「ウォーキング飲み会」なる新語まで流行りだしました。国も自治体も新聞やTVでいくら叫んでも、彼ら彼女らには実際に届いていないのです。若者たちは新聞も取っていませんし、TVのニュースなど見ていませんから。
私は、自分の若い頃のことを思うと、今の若者にはあまり文句は言えません。ただ、目の前に面白いチャンスが転がってるのに気が付かないのは、ちょっともどかしい気がしますね。