君の名は。みたいな?

「君の名は。みたいなのを」アニメ業界ではそんな注文が来て、困ってるそうだ。広告でも、いかにもありそうなことだ。この作品のせいで消費者心理に大きな変化が起こったなら、配慮しなければならないが、表面的に真似するつもりなら、危ないからやめたほうがいい。パクリ探しに血眼になってる連中が日本中にいて、ネットで笑いものにしたくて、ウズウズしてるからだ。そのへんの理論武装のためにも、見ておいて正解だった。

さて、話題にしたついでに、今度はネタバレありで感想を。
いうなればこれは、声掛けナンパ映画である。東京と地方の集落に別々に暮らしながら、突然心だけが入れ替わってしまった少年と少女が、集落に起こる大災害から住人を救うために奔走する。だが、無事解決すると、それまでいわば一心同体だった相手のことを忘れてしまうのだ。そして数年後、二人は、何か大事なことを忘れている、という思いを漠然と抱いたまま、東京でサラリーマンとしてごく普通に暮らす。
そんなある日、すれ違う電車の車窓に互いの姿を発見する。電車を飛び降り、駆け回って探し合い、ついにとある坂道で出会う。ところがこのクライマックスで、相手を意識しつつ、すれ違ってしまうのだ。

おいおい、そこは飛び込んで行ってハグだろう。ホイットニーならそうするぞ。年寄りとしては、少々合点がいかないところであるが、今の若者はやむを得ないのかもしれない。適齢期ともなると、恋愛はイコール結婚だ。外見はもちろん、学歴や職業、年収、親の職業や宗教など、無数の関門のことを考えると、気軽に声もかけられない。さらに運命の出会いかと思いきや、ストーカーの演出だったりする。常識があれば、晩婚、非婚化も無理はない。

その昔田舎では、大家族や、子供時代から自分を知ってる人間に絶えず囲まれて、制約だらけの息苦しい生活をしていた。それに反発して都会に行けば、自由と可能性に満ち溢れ、欲望うずまくなんでもありの生活と、田舎では考えられないような出会いがあった。
現在は、野望も夢もない普通の若者が、仕事がないので都会に出る。普通の人間がひしめき合って暮らす都合上、都会はさまざまなルールや制約に従って生きなくてはならない場所になった。情熱のままに、赤の他人に声を掛けるなど、タブーに近いのだ。
逆に田舎では、恋愛のたびに身上書を出さなければならないようなことは起こらない。子供の頃から、自分や相手がどういう人間か、みんなが知ってるからだ。むしろ若い二人を盛り立ててくれることさえある。さらに今なら、若者ならではの体力と発想を買われて、地域おこしの立役者として活躍することになる。

映画では、高校時代あれほど明るく溌剌としていた少年少女が、肝心の出会いの頃には、すっかりどこにでもいるサラリーマンとOLになってしまっている。その間に彼らが失ったのは、大切な思い出やお互いの名前ではなく、彼ら自身。そういう話なのかもしれない。

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