日本映画とCG

伊丹十三監督が亡くなって以来、長らく日本映画を見ていない。あまりに長いこと見てないので、何が不満でそうなったかも忘れそうだが、とりあえず声が聞き取りにくい。これは、未だに現場での音を拾って済ませており、サウンドデザイナーがいないからだと聞いた。さもありなんである。さらに最近は、漫画原作の作品が多すぎる。漫画があれば、背景から登場人物の服装、カメラアングルまで、すべて超丁寧な絵コンテができているのと同じ。それを忠実に撮影すればいいだけだ。そんな安直さを感じる。これらの不満よりも特に気になるのはCGのひどさだ。

さて、北海道が世界に誇る漫画家、荒川弘の代表作「鋼の錬金術師」が映画化されると聞いて、ちょっとだけ予告を見てみた。で、わかっていたことだが、やはり失望した。

見るからに子供だましのCG。これでも制作会社の社長は、映画監督でCG製作者だという。

CGが悪いのではない。それどころか現代では、映画とはCGのことともいえる。CGが使えないのは、カメラを回せないのと同じだ。ここで「タクシー・ドライバー」や「ニューヨーク・ニューヨーク」のマーティン・スコセッシ監督の、はじめてのCG作品「ヒューゴ」のオープニングを見てみよう。

この中で、街並みも屋内もほぼCGである。群衆の多くもそうかもしれないが、判別がつかない。おそらく実際のスタジオでは俳優の足元以外、ほとんどがブルーシートだろうと思う。もともとCGはイマジネーションを絵にするため、映画界から生まれた技術と言ってもいいくらいだ。制作会社は大作を作るたびに専用のプログラムを開発し、それが一般用に公開されることも多い。日本でもアニメの世界では制作会社にはプログラム開発力が必須で、ジブリなどは、自作のソフトを公開している。
実写映画ではそこまでいかないようで、いつまでたっても江戸城の代わりに彦根城が登場し、新内閣誕生の記念写真は国立博物館のエントランスで撮られ、国会議事堂の廊下での密談は焼肉屋で撮影される。こういう何度も登場する背景は、なぜCGモデルを作っておかないのだろう。そうすれば議事堂内の銃撃戦でも、スカイツリーの鉄骨にひっかかったヒロインをダイブして助けるのも、自由自在なのに。

CGがSFやファンタジーだけのものだと思ったり、抵抗感がある人は、日本映画のできの悪いCGを見せられたからだと思う。

このCMに登場するのは、CGである。それを知った上で、ヘプバーンのファンは心のないCGは二度と見たくないと思うだろうか。それとも、心にこみあげるものを感じるだろうか。

One thought on “日本映画とCG

  • 8月 5, 2017 at 23:53
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    CGもここまでよくできているんですね。ブルーシートでクロマキー撮りはCM撮影で雪景色との合成で使いましたが,CGの風景の中で自然に融合するための演技もなかなか難しそうですね。無いものを有ると仮定して動き回るわけですからね。ヘップバーンのチョコのCMの部分は何となく理解できます。怪獣もの(恐竜もの)は結構手が込んでいるようですね。自然に見せる技術には驚きです。人間が空を飛び回るCGは余りにも現実離れしすぎていて好きではありません。

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