オーストラリア人が茨城の民家を再生

Jaya氏はオーストラリア生まれで11年間ロンドンで過ごした後、現在東京で妻子とともに暮らしている。子供のための広い家や庭が欲しくて、茨城県南部の農家の建物を、公売で300万円で手に入れたという。5年前に家主が亡くなり、農業を嫌がって子供たちも相続を放棄した物件らしいが、1400㎡の土地もあり、1987年に5千万円で建てたと言う。

建物は、ところどこのにサッシ等を使っているが、伝統的な日本家屋である。仏間の柱などは欅のようだ。床柱も紅木か塗りかわからないが、かなりな太さがあるがわざとらしい絞りなどがなく、好感がもてる。欄間の長押は随分と厚みがあるが、天井が高いので圧迫感がない。欄間も彫刻ではなく、細密な組子でできていて、実に良いバランスになっている。天井も寺や武家屋敷のような格天井などにせず、すっきりした板張りで民家らしい仕上げだ。昔ながらの日本の民家には、土地ごとに造りや装飾に決まり事があるので、この仏間のセンスも、この地域独自のものかもしれない。

仏間と客間以外の部屋は放置されたゴミばかりが目につくが、欄間にハンガーがたくさんかかっていて中途半端な釘隠しもなかったから、多分本長押をつけてあるのだろう。敷地内には中途半端な納屋がいくつか建っていて、農具や古くなった家財道具が詰め込んである。燃えるものは敷地内で燃やしてしまい、大きな物は納屋を作って放り込んでしまう。昔の農家の典型的な暮らし方をしてたのだと思う。
おそらくバブル景気の折に農地を手放して母屋を建て替えたが、農家をできなくなり、やがて一人暮らしになって掃除も行き届かなくなるが、仏間だけは最期まできれいに使っていた。そんなストーリーが見えてくる。ゴミの片付けや修復には、さらに何百万もかかかるだろうが、きれいになったところを見てみたいものだ。

昔ながらの棟梁に任せて建てる建物は、現代の住居とはかなり違う。建築が決まってから建材を探していては手に入らなかったり、高く付くので、棟梁は日頃からめぼしい建材を手元にストックしている。こういう普請があったときにそれを放出してくれるので、贅沢しているようでも、案外に安くつくものである。3年間かけて建てたというは随分と長くかかったようだが、そもそもこういう家は、早く建てないと住むところがなくない人が建てるものではない。棟梁がほかの仕事の合間に時に重機や助っ人を呼び、ときには一人で少しずつ造っていく。無理に人を集めたりしないので、手間賃も安くつく。施主も時折現場を訪れては、板図には描いてない細部の工夫を棟梁と一緒に決めていくのが、こういう建物を作る際の楽しみでもある。

そうしてできたせっかくの日本建築を、子供が相続しないのは残念なようにも思えるが、伝統家屋は建物だけ残っても意味がない。この程度のものは日本にはいくらでもあるので、文化財にもならず、公売価格が妥当な評価だろう。むしろ棟梁のもとに技術が残って、理解のある施主が現れれば、いつでも同じように建てられることが伝統なのだ。その意味では、今はなき施主も、日本の伝統文化継承に大きく貢献したといえる。

動画は、修復状況に合わせて随時最新情報がアップされている。今後の進捗がちょっと楽しみだ。

3 thoughts on “オーストラリア人が茨城の民家を再生

  • 1月 11, 2020 at 16:34
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    田舎は夏も比較的涼しいですよ。山が近くて木漏れ日あり、川も渓流もあって、街のアスファルトジャングルとは大違いですね。

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  • 1月 11, 2020 at 06:52
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    日本家屋は魅力的ですが、保存には手が掛かりますね。それに比べて北海道の住宅は合理的にできていますね。幼少期から古民家に住んで居ましたから、取り壊した後で悔やみましたが、維持するには人が住まなければいけませんから無理でした。近くに居れば古材を利用して家も建てられたのでしょうが、遠方に住むようになって夢も叶いませんでした。でも懐かしいですね。

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    • 1月 11, 2020 at 08:02
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      本州で日本家屋に暮らした後、北海道へ来て高断熱の家で暮らすのは理想的だと思います。冬の北海道でストーブのそばでぬくぬくするのもいいですが、夏の本州で、純和室の畳の上で縁側越しに庭を眺めてごろ寝するのは最高です。数少ない経験ですが、今でも思い出します。ただし大昔のことですから、今の本州の猛暑にあてはまるかどうか。

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