装飾の時代

我々の若い頃は、シンプル・イズ・ベストの時代だった。過剰な装飾は古臭く、田舎臭い。ギリギリまで装飾をなくしたデザインが都会的、近代的だとされた。そして家電、インテリア、ファッション、それらの広告もシンプルなデザインに置き換わっていった。今でもユニクロやアップル製品には、シンプル・イズ・ベストの伝統が受け継がれている。

シンプルデザイン指向は製造・販売側の都合でもあった。装飾を施せばその分コストがかかるだけでなく、消費者の好き嫌いが別れてしまう。大胆なデザインは大流行するかもしれないが、総スカンを食らうかもしれない。景気もかつての勢いが失われたなかで、大量生産で低価格な商品を大量販売するためには、製造コストや消費者の好き嫌いのリスクが少なさそうな、シンプルなデザインを出すしかなかった。

が、そういう時代だからなおのこと、良い装飾は良いものだと思う。動画は高級注文家具の職人のものだが、重厚なマホガニーに施された大ぶりの装飾は、大胆ながら落ち着いた風格があり、また伝統の味わいを持ちながら全体のモダンなシルエットに溶け込んでいて、多分長年使っても飽きがこないだろうと思う。多分買うのは無理だが、見るだけでも目の保養だ。

こんなふうに腕のある職人が、目のある客に直接アピールして販売できる現代は、実に良い時代だと思う。

4 thoughts on “装飾の時代

  • 11月 2, 2021 at 12:07
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    日本文化に興味を持つ外国人が多いですね。TVで観ましたが、折り紙に興味を持って自国で子供たちに教えて、更に他国にまで行って折り紙を教えている外国人や、イギリスから日本の海苔職人を訪ねて勉強したり、職人の技を習得しに来る外国人を見る度に、何故日本人の若者たちには日本文化継承者が出来ないんだろう?と思いますね。そんな私も、父の陶芸を継承していない一人ですが。父も教えてはくれませんでした。むしろ父の小樽時代の仕事仲間の末裔が小樽焼などの人間国宝になっていました。父に伝えたら驚いていました。手宮洞窟の象形文字をあしらった小樽焼は父から聞いて居ました。父も他界して久しい今になって習っておけば良かったと反省しきりです。

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    • 11月 2, 2021 at 12:23
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      陶芸もいいですね。平面の制作に関わってると、形のあるものに憧れますね。芸術作品でなくても、日常使いの食器などを作ってみたいです。

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  • 11月 1, 2021 at 11:15
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    職人技ですね。何でも機械化の時代にも貴重な腕のいい職人さんが残っているのは素晴らしいですね。本州の田舎の親戚にも宮大工が居ますが、県外からも引っ張りだこで、何と話を聞くと樽前神社の社の建立にまで長期間泊まり込んで仕事したとか聞きました。腕のいい職人さんの仕事は未だ日本のあちこちにも残っているようですね。

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    • 11月 1, 2021 at 11:33
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      樽前山神社、立派ですね。軒が大きく張り出してるのは、雪の多い北海道では珍しいです。樽前のあたりが比較的雪が少ないのと、関西の宮大工さんの仕事だからでしょう。東北の宮大工が作ると、軒の短い屋根になります。住宅の建築では、働き盛り世代以降に腕のいい大工さんが減ってしまったので、高齢の大工さんが引退できないそうです。工場生産、プレカットと言っても、最後には大工さんがいないと家は建たないようですし、ちょっと凝った注文住宅は、外国から大工さんを呼ぶ時代が来るかもしれないと聞きました。

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