ネットっ子気質

5月である。

江戸っ子は皐月の鯉の吹き流し、口先ばかりではらわたはなし

という川柳がある。鯉のぼりが口はしっかりしてるが、胴体がカラッポなのと同じように、江戸っ子は威勢がよくて正義感が強いが実行する根性はないという、当時の人の自嘲だろう。この江戸っ子気質が、小さな悪も許さず、よってたかってサイトを炎上させてしてしまう、現代のネット住人とそっくりだという説がある。確かにネット世界は江戸時代と妙に重なるところがある。

まず、ネット上に氾濫する”萌え絵”。その昔、ファンタジー小説の表紙にはむくつけきマッチョ男や半裸のグラマー美女が描かれていて、私はそれを楽しみに本を選んでいたのだが(こんな感じ)、ある時から少女漫画のようになってしまった。一時的な流行だろうとたかをくくっていたが、企業や行政のCM、ポスターまで萌え絵になり、ついに日本文化の象徴になってしまった。昔懐かしい汗みどろ、血みどろの世界はもう帰ってこないのだとあきらめつつ、私は、ああ、これは「浮世絵」なんだと悟った。江戸時代にあの極端な糸目、うりざね、柳腰の女性が本当にいたわけではないのと同じように、現代の萌え絵のようにバカでかい目の人間がいるわけではない。どちらも美女の記号化なのだ。
江戸は幕府が置かれてから急速に開発が進んだ街だ。職人や侍がどっと押し寄せてきたので、圧倒的に女性が少なかった。結婚できる男は限られていて、その他の男は吉原や岡場所に通って疑似恋愛にふけった。浮世絵もまた、当時のバーチャルな二次元アイドルである。現代の日本は、東京こそやや男性が多いとは言うものの、ほぼ男女同率なのだが、結婚しない、できない若者が増えている。その心の隙間を埋めるのが、極端に「愛嬌」が強調された萌え絵なのだろう。江戸時代に芸術性など評価されなかった浮世絵が、世界に出ていって日本文化の象徴になったところまで同じだ。

そんな江戸っ子の世論の炎上に、幕府もずいぶん気を使っていたらしい。記者会見の態度が悪いと言う理由で、大会社が潰れてしまう現代と同じだ。赤穂浪士の討ち入りなど、どう考えてもテロだから当時のご法度でいえば獄門さらし首が順当だ。が、江戸っ子が寄ってたかって義士、忠義の誉れ、武士の鑑とはやしたてるものだから、大名家預かりの上切腹にせざるをえなくなってしまった。
最近の研究では、江戸時代に士農工商の身分階級などなかったと考えられている。確かに武士の力が絶対的なら、田沼意次や吉良上野介のような地位の高い武士の悪口が、現代まで伝わってるはずがない。斬新な経済活性化を行った田沼意次が汚職の代名詞になったり、徳川家以外での武家の最高の身分でありながら、面倒見の良い気さくな江戸っ子で、しかも元禄三大美男に数えられた吉良上野介が、悪の権化の憎々しげな爺いのように後世に伝えられてしまったのも、江戸っ子の炎上パワーだったのである。
現在でも時折、著名人やタレント、政治家や大企業が世論の袋叩きにあって、姿を消すことがある。中には、これは違うだろうなあと感じることもあるが、うっかり弁護などすると、こちらまで白い目で見られかねない。かくして今日も、火事と喧嘩はネットの華なのである。

完全なるシステム

以前スーパーで買い物をした時、売り場の値札とレシートの金額が違っていた。買い物が少なかったのですぐ気がついてレジ係のおばさんに言うと、おばさんは血相変えて売り場に走って行った。まあ当然だ。そして棚を見たが戻って来ず、そのままバックヤードに入っていった。まもなく白衣の若い男と一緒に出てきたがおばさんだけがレジに戻り、済まなそうに
「これは大小サイズがあって、プライスカードは売り切れた小サイズの値段だったんです」と言う。若い男は、たぶん売り場か商品のマネージャークラスなのだろうが、レジには寄らずにそのまま棚へ行ってしまった。私はウソをつかれてると感じたが
「そうだったんですか、かまいませんよ」とおばさんに言った。おばさんは何も言わなかったが、表情はかなり怒っていた。と、話はここまで。

帰ってからネット検索で、その商品のメーカーサイトを調べると、案の定、サイズ違いは作ってなかった。初めて見る商品だったので、テストマーケティングだったのだろう。テストマーケティングでサイズ違いなどは出さない。パッケージのコストがかかるし、データがややこしくなるからだ。もしかしたら日替わりで価格だけ変えて、反応を探ったのかもしれない。そこでレジで参照する商品マスターの価格だけ変えて、プライスカードの書き換えを忘れたというところか。この時売り場の写メでもとってあればよかったのかもしれないが、レジのおばさんの怒りを思ってそのままにした。
おばさんが怒ったのは、客をだましたこと。その役目をさせられたこと。さらに言えば、自分も家に帰ればおそらく主婦で、そういう目に合わされたら、絶対に黙ってはいないだろうということ。それなのに、見るからに善良そうな(?)老人をだます役割をさせられたのである。さぞかし腹が立ったことだろう。

一方、若きマネージャー君はなかなか優秀で、こういうゴマ化しは初めてではないはずだ。でなければ大小サイズがあった、などという練り込まれたウソはなかなか出てこない。
ここまででわかることは、まずレジ係に値札間違いに対応する権限が与えられてないということだ。単独小売店なら、
1.事情を説明して、正しい料金を払ってもらう
2.当店の間違いでしたと謝って、プライスカードとの差額を渡してその旨を記録する。
のどちらかだろうが、この店はPOSシステムにイレギュラーな対応を記録する仕様がないかもしれない。レジ係が値札間違いをでっち上げて、不正な値段で販売するかもしれないからか?ともかくシステム外の問題を一言で八方丸く収めた商品マネージャー君は、実に優秀だと言える。かくして、人間が絶対に間違いを起こさないことが前提というすさまじいシステムは、現場の努力でいつまでも温存される。

でも、コンプライアンス的に危なっかしいなあ。単に心得違いの店員がいるというより、システムがゴマ化しを奨励するような構造だから、またやらかすだろうし、私のような温厚な紳士(?)ばかりじゃないと思うけど。

宇宙からのライブ配信

今の時代だからこういうのがあって当然なのかもしれないが、おどろくべきことには変わりない。NASAがYOUTUBEで公開している、ISS(国際宇宙ステーション)からのリアルタイム映像である。普通の動画と違って、記事に埋め込むことはできないので、下記の画像や文字をクリックして見に行って欲しい。全画面で見ると迫力満点で、知ってる大陸の形を探しながらいつまでも見ていられる。だが、とつぜん飛行士の手袋が画面いっぱいに現れたのにはびっくりした。

https://www.youtube.com/watch?v=RtU_mdL2vBM

Are You Lonesome Tonight?

曲は聞き知っていたが、タイトルを知らなかった作品。Roy Turk(1892-1934)とLou Handman(1894-1956)が作曲した。古い曲で、どのプレイヤーで有名なのかも分からないが、古臭さは感じない。ホテルのロビーや喫茶店でかかっていても違和感がないだろう。

その昔誰かから、音楽は音符の組み合わせだから、そのうち出尽くしてしまうという話を聞いたことがある。確かに今後、この曲のようにシンプルで美しく、聞きやすく、覚えやすく、歌いやすくて演奏しやすい、というような曲は出てこないかもしれない。また、この曲は期限が切れているが、今、私が作曲したと言って登録しても通用しないだろう。そのへんの考え方がよくわからない。
心のままに作曲すると、過去のどれかの曲になってしまうので、どこか少しずつ変えなくてはならず、そのせいで収まりが悪く煮えきらないような曲が氾濫してしまう。作曲してもそれを発表するには、過去の膨大な作品データベースを検索してチェックする技術や時間が必要になる。そんな時代が来ているのかもしれない。

今回は、今まで紹介する機会のなかったフランク・シナトラの歌で。

ネットセキュリティ通信講座を受講して

昨年、ネットセキュリティに関する通信講座を受講した。詐欺メールを立て続けに受信したので、なんだか心配になってきたからだ。内容は基礎的なことが多く、その分わかりやすくて非常にためになった。

「システムの脆弱性」という言葉をよく聞くが、これは欠陥があったり弱点が見つかったというより、新しい攻撃法を発明したというのに近い。例えて言えば、こちらが城壁を高く張り巡らせて守ろうとしていたら、相手がヘリコプターを発明してしまった、という感じだ。

また、「ゼロディ攻撃」という言葉がある。ソフトウェアの脆弱性は、直ちに世界中に公表され、影響のあるソフト会社は直ちに対策済みアップデートを配信する。一方悪意のある攻撃者は、その発表を見て脆弱性を利用したウィルスをバラまく。発見され公表された瞬間から、それを悪用しようとする者と、対策済みバージョンの公開との競争になる。「ゼロディ」というのは日数がゼロではなく、対策がゼロの期間という意味だ。

ウィルスを感染させたりPCを乗取ったりする「マルウェア」に対しては、何段階かの対応がある。もちろん感染させないよう予防措置をとるのが最初だが、感染してしまった場合最終的に「受け入れる」ことも必要だ。トラブルが発生してしまい、対策しきれなかった場合は、OSのクリーンインストールや業者に持ち込む、データの回復をあきらめるというような、最悪の場合を受け入れるということだ。

現代では、受信したメールを無頓着に開くのは、道に落ちているものを拾って食べるのと同じ。不衛生でみっともないことだというような「世間体」が広まったほうがいいと思う。