タイトル画像の話 / コーヒーポット

何の気なしに作った赤いコーヒーポットが、いかにもホーローらしくできたので背景をつけて仕上げてみた。いつか別のホーロー製品を描くときには、このコーヒーポット表面の光沢や目の粗さなどのパラメーターを持ってくる。こうやってガラスや鉄板、タイルなど、うまくできた素材表面のパラメーターをストックしていくのがCGのノウハウである。

ただし、試しに文字などの画像を貼リ付けたら、同じパラメーターなのにあまりホーローらしくない。赤はよくあるので積極的にホーローだと認識されるが、文字は実在しないので冷めた目で見る。そんな目の錯覚や脳の先入観も、ものの見え方に影響するのだろう。

ちなみに壁のポスターは、新しい生成AIのFLUX playgroundで描いたもの。こういうちょっとした素材が、権利関係を気にせずに使えるのはやはり良いことだと思う。

タイトル画像の話 / グラモフォン

CGで蓄音機を作ろうろして資料を探したら、厳密には「蓄音機」というのはこれよりやや古い円筒式のものをさすらしい。ゼンマイ式で円盤を回すタイプは「グラモフォン」なのだそうだ。
このテーマは今ならAIのほうが手軽で上手かもしれない。多分AIにすると、細部があやふやで矛盾していたりするが、その分全体にまとまり感のある絵になると思う。逆に細部までくっきりしていればCG。イコール人間が作ったということになるかも。何だか変な感じだが。

壁の絵は「海底に沈んだ都市」というお題で、AIが描いたもの。これは遺跡だが、現代の都会が車ごと沈んだ場面にするようたのんだら、車が錆びてなかったり、路面が明るく海藻が生えてなかったり、信号が灯っているなど、普通の都市の路上風景の空が海面に変わっただけの絵になってしまった。
海に沈んでいるのなら古代都市、というのはすんなり描けるが、海底に沈んだ現代の大都市はこれまでなかったのでうまく描けない。SF映画によくありそうだが、例外みたいなものでサンプルも少ない。そのへんの理屈がAIならではなのだろう。生成AIの限界や使い分け法がなんとなく見えたような気がする。

タイトル画像の話 / ベラ・ノッテ

リストランテの看板風。技術的に高度なころはなく、ポリゴンも少ないので、その分手をかけてみた。最近は生成AIが流行りで技術面で追いつけないかもしれないが、アイデアや手間をかけて人間が作ったものの良さを追求しているつもりだ。

キャンティの空き瓶に灯したろうそくと、壺に入れたグリッシーニは、昔風のリストランテのシンボル。映画「わんわん物語」で、”映画史上のロマンチックなキス、ベスト8”に輝いたあのシーンにもあった。

ちょっとやんちゃな街っ子が、箱入りのお嬢さんをなじみの店に連れて行く。店も承知したもので、2人だけの特別の席を作って、歌まで歌ってムードを盛り上げる。ナンパの片棒担ぎとも言えるが、それこそが昔ながらの飲食店の本領である。星やこだわりの食材、計算されたマニュアル・サービス以前の、店主の心意気や存在意義に関わるもので、昔はそれに助けてもらったカップルは多かったが、今はどうだろう。

ちなみに主人公の伊達男の名前はトランプ。あの人が登場した時も、アメリカ人はこの映画を思い浮かべたはずだ。そしてテレビの人気者になって大統領にもなり、星条旗を背景にして血だらけで拳を振り上げる。「持ってる」というのはこういうことを言うのだろう。資産も生まれ育ちも学歴も、それに比べればささいなものだ。
「いろいろやらかしてるようだが、俺はあいつを信じるぜ。なんたってトランプだからな」
そういうアメリカ人は多いのだろう。