童謡「浦島太郎」の一節である。若い頃にちょっと良いことをしたが、その後調子に乗って浮ついた暮らしをしたあげく、やめろといわれてることをやって、気がついたら白髪のもうろく爺い…。なんだか耳の痛いような歌だが。
もし浦島が最後まで玉手箱を開けなければどうなっただろう。住んでいた村も知人も何一つ残っていないのは心細いが、肉体が若いままならなんとか順応して暮らしていけるだろう。だが、晩年になるにつれて「あの時に玉手箱を開けていたら…」という未練が大きくなる。それなら最後に開ければいいだろうと思う人は年寄というものを知らない。それまで続けてきたことに大変革を起こす決断力が衰えているので、これで最後という決断は到底できないのだ。
開けてはいけない箱といえば、ギリシャ神話のパンドラの箱。開けると、中からさまざまな災厄が飛び出してくるが、最後に希望が残る。いい話ふうだが、やらかしてしまった災厄の後始末もせず、あやふやな希望にすがって生きるというのも痛々しい話だ。童話、神話はもともと教訓話なので、こどもだけでなく、大人になってからでも真剣に読む価値があるくらいだが、残念なことに大抵の場合は手遅れだ。おそらく書いた人も、手遅れになってから気がついて、せめて書き残そうとしたのではないだろう。
箱といえばもうひとつ、舌切り雀の大きなつづらと小さなつづらの話。これは好奇心に負けた話ではなく、選択の話である。自分ならどちらを選ぶか。私は欲張り爺さんではあるが、小心かつ疑り深くもあるので、おそらく小さいつづらを選ぶだろう。で、中はなにかといえば、もちろんお化けである。「大きい方にはお化けが入ってる」のではなく、実は「あさましい心の持ち主があけるとお化けが出てくる」という教訓だからである。
今日は私の誕生日。何歳になったかは秘密だ。この歳になると、年齢など恥部にすぎない。
