転調してみた

高齢で思考力が低下しても、楽器演奏などの「手続き記憶」は低下しないという記事を読んだ。はて?「楽器を演奏すると思考力が低下しない」のではなかったのか・・・。
同じことの繰り返しだけならボケてもできるというなら、日頃のバイオリン演奏にアレンジを加えてやろうではないかと、十八番のテネシーワルツを後半で転調してみようと思いついた。聴衆を意識した見せ場づくりである。(そんなのいないけど)。

さて、転調が格好いいのはわかるが、実際どの程度ずらせばいいか浮かんでこない。AIに聞いてみると1度が普通らしい。ということは、今までDのキーだったので後半をEにするか、またはCで始めてDに転調するか。これについてはC用の伴奏動画がすぐ見つかったので、「前半は新たにCで練習し、後半で慣れたDでばっちり決める」という皮算用が決まった。さらにAIからは、ダブルストップ(和音)で盛り上げてはという提案が。大賛成である。

未熟な者ほど求める情報から遠い場所にいるわけだから、ネットで検索したくても、キーワードからしてわからないことも多い。これまでの検索ではたどり着くまでは大変だった、あやふやな言い方でも受け付けてくれるAIは、不案内なジャンルなほど有用だ。

AIから、DからCへ下がる転調とどちらか訊ねられた。そういうのもあるのかと思ったが、メロディが頭に思い浮かばない。

リフォーム店はジブリの空気

先日、袖の擦り切れたコートをもって昔からやってるリフォーム店へ行った。古い3階建てのビルの急勾配の階段を息を切らしながら登ると、突き当りに店名だけ書かれたドアが一枚。中は客から預かった衣服や布地が、壁や作業台の上に所狭しと置かれている。雑然としていながら隅々まで意味のあるものだけで埋め尽くされた、職人の城。ジブリ映画のワンシーンのような空間だ。

入ってすぐの正面の作業台兼受付で、矍鑠としたおばあさんが応対し、奥から背の高い優しげな女性が作業の手を休めて出てきてくれる。挨拶もそこそこ、無駄話もなく、すぐ仕上がりの確認をしてそれで終わり。いっそ「40秒で支度しな」と言われるんじゃないかとワクワクしていたが、それはなかった。

今ではクリーニング店などでもリフォームを受け付けているが、そういう注文がすべてここに集まってくるのだろう。時節柄、これから繁盛する仕事だ。あとで調べると、ネット上の口コミ評価もかなり高かったが、一人だけ最低点をつけたのがあり「行くたびに値段が違う」とコメントが。意味がわからないのでしばらく考えたら、これまで定価販売だけで、職人に依頼して見積もりしてもらう経験がなかった人なのだろうと思い至った。

AIに頼んで描いてもらったが、こういうお約束な絵柄はホントうまい。また、以前は画中の文字がデタラメなことが多かったが、TEILORやSINGERなどの表記は正しい。が、よく見ると機械部が入っている部分に引き出しがあったり、往来に向けて鏡文字でなければならない店名が普通に表記されていたり、メジャーの数字がでたらめだったりと愉快な部分があちこちにある。それも味わいのうちだ。

ガラケー最後の日

今年3月31日にdocomoのfoma通信が終了した。「ガラパゴス諸島がすきだから」と言いながらスマホにしなかったが、ついに年貢の納め時である。思えば固定電話の時代から、集中している時にかかってくる電話が嫌いだった。「電話は免許制にしろ」と言いたかった。

さてインターネットが普及したとき、真の業務効率化時代が到来したと思った。連絡事項はあらかじめ文章にして送りやすい時間に送信し、自由なタイミングで受け取る。WINWINで互いの生産性が上がる。そう思っていたのだが、本格的な携帯時代になり、のべつまくなし連絡を垂れ流しあう時代になってしまった。そしてメールさえも、すぐ返信しないのはマナーがどうこう言うようになった。情報通信機器の導入で、情報の集約管理というシステム化とは真逆の現象が起こったのだ。

自分だけはそうなりたくないと、携帯は持たないでいたのだが、某巨大電気通信事業者企業と取引があったので逃げ切れなかった。ある日、はいコレと携帯を手渡された。ちなみにこの時受け取った機械は、さすが本職が選んだだけあって、軽量で音声も明瞭、何度か落としたが壊れることもなかった。その後何代か買い替えた中でも、最高品質だった。
逆に言うと、モバイルは買い替えるたびに重く使いにくくなっていった。ボタン類の配置も操作のこと考えてるとは思えず、音質も悪くなった。特に「着信あり」ランプが無くなったのは閉口した。置いたまま席を立っても、以前はランプの有無はすぐ目についたが、液晶に表示されているだけだと見落としが増えた。ランプ1個のコスト削減というマーケ判断の前には、ユーザーフレンドリーとかは全く意味がないらしい。

そしていま、スマホが目の前にある。まず、ガラケーに比べサイズが大きくてつかみにくく、滑り落としそうになる。石器時代の磨製石器のほうが手に馴染む感じだ。以前、某社スマホがモデルチェンジで解像度が上がったと言った際、単純に機械のサイズが大きくなっていて、頭が痛くなった。そのうち40インチになったら背負って歩くのかと。
また、よくわからんアイコンが多いので、片っ端から削除した。が、アイコンを隠すだけで、アンインストールできるものは少ない。この小さな機械の中で、使わないアプリが常駐されたり、サーバーとバックグラウンドで通信されてはかなわないのだが。それらにもまして驚くのは、落としただけでガラス面が割れるらしいということだ。人間工学?なにそれ、おいしいの?である。
数十年後、昔の珍発明として笑い話になることは分かってるのだが、今は諦めるしかない。要は使いようで、外出に持ち出さなければ良いのだ。