ブラック企業マップ

 

さあ、出たぞ。新年早々こういうのはどうかと思って遠慮してきたネタである。
正直言って我々の世代では、頑張ることの何が悪いのかという思いはある。特に新社会人の場合は、最初に浴びた実社会の厳しい洗礼を、企業のせいだと考えてしまうこともあるだろう。
一方で我々の時代と違って、企業、業界で今後大きな飛躍の可能性がなく、学歴その他の理由で出世の見込みもないとあれば、労働条件、人間関係のストレスがもっぱらの関心事になってしまうのも無理はない気もする

こういうサイト自体の是非もある。案の定、サイト内ではブラック指定する基準や情報源などは明示されていない。主催者の実態もわからないのだから、ブラック指定に驚いて連絡をとったが運の尽き、ということだって無いとは言えない。だからと言って規制してしまえというのは、言論の自由的にまずいだろう。
見る側のネット・リテラシーが問われる、いかにもインターネットらしいサイトだ。昨年8月に開設されたばかりのようなので、どこまで周知されているか不明だが、この労働力不足の折にこんなところに登録されてしまっては、企業の命取りになりかねない。マップをクリックすれば当該サイトに行けるが、内容などについては当然一切関知しない。

ネットビジネスのお手本

まずは動画を見て欲しい。エロール・ガーナーの名曲Mistyの演奏である。楽器店の中で、なかなか達者なテナーの演奏を披露していて、こんな風に吹けたらと思う人も多いだろう。

実はこの動画では、2種類の商品の販売している。ひとつはこの演奏で流れているバック演奏のデータ。説明欄のリンク先へ行くと、日本円で700~800円程度だった。もうひとつは、演奏しているテナー・サックスそのもの。年代物のセルマーで、プレミアがつくのかどうかわからないが、少なくとも数10万円はする。演奏可能であることはご覧の通りで、1台売るためならデモ演奏くらいわけはない、というわけである。

考えてみると、これらすべてをたった一人でもできる。年代物のサックスの専門店の主人なら、吹けて当たり前だが、MIDIソフトを使えばバック演奏データも作成できる。
バック演奏データは見本を聞かせないと買ってもらえないが、聞かせると無料でダウンロードされてしまう。これならテーマの音が入ってしまっているので、自分用のバックには使えない。
演奏そのものも考えられていて、十分ジャズ・フィーリングがありながら、かなり楽譜に忠実で変なクセがない。アドリブ部も同様である。アーチストとしてはやや気迫に欠けるものの、「そう思うなら、ご自分でどうぞ」というわけである。いい曲があったらちょっと買って練習しようかな、という気になる。再生回数も数十万回になっている。本当に一人のしわざかどうかはわからないが、知る人ぞ知るような小規模ビジネスが、ソフトウェアとネットの力で世界市場を見込むというのは、ネット・ビジネスのお手本のようだ。

入れ墨の方お断り?

銭湯や公衆浴場でおなじみの表示だが、海外の観光客がとまどうことのひとつだそうだ。タトゥーは個人の自由だし、犯罪者扱いされるようなことではないはずだということらしい。言うまでもなく日本では暴力団員の象徴で、かつては島送りの前科者の証でもあった。

一方で、日本の刺青は世界最高峰の高い芸術性があり、江戸時代の火消しは競ってシャツのような刺青を入れて、火事場で諸肌脱ぎで大見得を切っていた。島帰りの入れ墨だって、人に見られないように隠すもので、風呂屋でひけらかして大暴れするものじゃなかっただろう。自分では決してやらないが、もともとは風呂屋にも入れないほどのことではなかったような気がする。

見て分かる通り、この動画の登場人物は腕に入れ墨をしている。ひげとも相まって不潔感さえ感じられ、日本の料理番組ではありえない起用だ。だが、配信サイトでは他にもタトゥーの持ち主が動画をアップしていて、特に大工や鍛冶屋などが多く、いたって真面目な仕事ぶりを紹介している。それも多くが腕にタトゥーを入れてるところから、自慢の商売道具である腕を飾り立てているのではないかと気がついた。海外の職人さんが来日して、誇りであるタトゥーのせいで、ヤクザあつかいされれば、確かに寂しい思いをするだろう

もともと世界屈指の派手な入れ墨文化のあった日本が、公共の場から締め出したかったのは、入れ墨ではなく暴力団や暴力行為のはずだ。それを入れ墨に罪を着せてしまったところに、海外とのちょっとした行き違いが生まれたのだろう。国際化時代ならではの問題だ。いっそ解禁してしまって、欧米のごつい職人さんたちが出入りするようになれば、唐獅子のお兄いさんも無茶はしなくなるような気もする。

運動不足と多すぎる制約

マンションで生活していると運動不足になりがちだ。戸建ての人が「今日は雪かきしてきたよ」というのを聞くと、楽で良かったという反面、多少疲れても雪かきで体を動かしてるほうが健康的なのではないかとも思う。だからといってランニングと称して目的もなく走り回ったり、疲れるために金を払ってジムへ行くというのも抵抗がある。

一方、管理人さんの仕事は大変だ。住民に高齢者が増えるにつれて、いわば介護的な雑用まで増えてきて、時間もおかまいなしに仕事が舞い込んでくる。その様子を見ていると、自分が庭の掃除程度の雑用を無償で手伝ったら、自分の運動不足解消と管理業務の負担削減の一石二鳥なのに、と考えることがある。
がこれは簡単なことではないのに気がついた。まず、私のほうはあくまで余った時間や気分転換にしか手伝えないので、作業要員としてあてにできないし、拘束されても困る。また、万一私が共有部分を汚損した場合、管理会社が責任を負えない。駐車場の車も同様である。私が作業中に具合でも悪くなった場合、自業自得ではあるものの、かえって迷惑をかけてしまう。また、多くの住民のなかには、作業が減った分管理費用を削減しろと言い出すのも出てくるかもしれない。そう思うと、管理組合、管理会社とも受け入れられないだろうなとは思う。

マンション生活者のための新しい生活改革として、メディアでキャンペーンを行ったり、それ用の保険商品を開発するなら、そこそこの話題作りにもなって面白いとは思う。だが、そういう大げさなことじゃなく、ほんのちょっとしたことを、思い付きだけで出来ないというのは、どうにも窮屈な感じがする。



ウィンストン・チャーチル

第二次大戦時のイギリス首相、チャーチルが行った、歴史を変えたと言われる3つの有名な演説をテーマにした映画だ。主演は名優ゲイリー・オールドマン。と知って、体格と顔の、余りの共通点の無さに驚いたが、それを乗り越えて見事にチャーチルを生み出し、アカデミー主演男優賞とメイクアップ賞を獲得した。

チャーチルは当時としても飛び抜けた主戦派で、第一次大戦では閣僚の座を辞してまで戦場で戦うことを選び、また、インドの独立を嫌ってガンジーを攻撃したほどの、徹底した帝国主義者でもあった。映画では彼が、ナチスドイツの猛攻を前に新首相に就任し、講和を求める前首相のチェンバレンを退け、イギリスに徹底抗戦の道を歩ませるという物語である。
山場は、講和か抗戦かで悩むチャーチルが初めて地下鉄に乗って、ナチスと戦おうという市民の思いに触れる場面と、さらに議会で抗戦を訴える演説で、野党を含む全員の喝采を浴びる場面だろう。現代の日本人からすれば、演説の巧みさで国民を殺し合いに駆り立てたかのようなストーリーに、違和感があるかもしれない。ヒトラーもチャーチルもどっこいどっこいじゃないか、というような。

少々映画からは離れるが、これにはヨーロッパの歴史が背景にある。国と国、領主と領主が長い間戦い続けていたヨーロッパでは、戦争に勝った者がすべてを得て、負けた者はすべてを差し出すことを繰り返してきた。つまり、敗戦国が再び繁栄を取り戻すためには、戦争を起こして勝つしかなかったのである。第一次大戦も同様で、敗戦国のドイツには莫大な賠償金が課せられたため、乱暴な言い方をすれば、困窮のどん底に突き落とされたドイツ国民は、ヒトラーでなくても、戦争に勝利させると約束する者の登場を待ってた状態だったのである。
勝者のイギリスからすれば、ドイツの軍門に下れば、自分たちがやったことをやり返されるわけだから、どんなひどいことになるかはっきりと理解していた。市民までが「奴隷にはならない」と叫ぶのは、文字通り奴隷にされる可能性があったからである。

第二次大戦後の連合国による戦後の世界体制づくりでは、この教訓が生かされた。日本ほか敗戦国に対する賠償金を放棄し、国際的な復興援助まで行われた。ここで人類は、敗戦による国の困窮から脱するために開戦するという、無意味な繰り返しから脱却したのである。チャーチルの演説が歴史を変えたというのは、そのことを指している。