李子柒 麻婆豆腐

当サイトで、なぜか来場者の多い李子柒シリーズ。畑に行くシーンから始まったのでもしやと思っていたら、大豆を豆腐にする所から始まった。枝豆状態の大豆を収穫していたが、畑で乾燥する前に生で使うということなのだろう。出来上がったのは、なかなかお目にかかれないほど硬い豆腐だ。
このシリーズは不思議なところがあって、伝統的な中国の生活文化を紹介しているのだが、いつも出てくる家の立地がよくわからない。麻婆豆腐が出たからと言って四川省というわけではなく、山西省の手伸ばし麺を作ったりする。画面の隅に花や果実のなった枝が映ることが多いが、それも旬や産地がバラバラな感じがする。そういうものにとらわれない、オール中国の桃源郷をイメージしたのだろうか。

ネットを調べると、タイトルはリーズーチーと読むらしい。「染」のように見えた文字は「七」だそうだ。「李子柒」という人名だと思う。四川省の田舎に祖母と暮らす女性という設定だそうだ。田舎暮らしのスキルが身についているが、他の動画を見ると故宮博物院の一室で、研究者と薬膳について話し合ったり、都市部にある自室でこの動画を編集していたりと、おそろくべき多芸多才ぶりである。特に作業する手付きが堂に入ってるので、吹き替えかとも思って目を凝らすのだが、本人が演じている部分も多く、見分けがつかない。視聴数は膨大だが、わずか5分ほどの、スポンサータイアップのしようもない内容にここまでの手をかけて、どうやってペイしているのか不思議でならない。

サターン5型ロケットのマニュアル

往年の宇宙少年の諸君、お待たせしました、宇宙スケールのお年玉である。NASAの誇る世界最大のロケット、あのアポロ計画でも使用されたサターン5型ロケットのマニュアルが公開された。みんなもぜひ、以下からダウンロードして欲しい。

https://history.nasa.gov/afj/ap12fj/pdf/a12_sa507-flightmanual.pdf

今の人たちとちがって、我々の若い頃は人間が月に行くことが当たり前のように行われていた。
「おや、今度はアラン・シェパードが船長かい?バズ(オルドリン)にも、一度月面に立たせてやりたいねえ」
というような会話が、普通にかわされていたものである。
それを可能にしたのが、サターン5型ロケットである。全長110.6m、総重量2,721t、低軌道に118tの人工衛星を打ち上げる力を持つ。サターンの前にサターンなく、サターンの後にサターンなしとまで言われた、人類史上最大のロケットだ。高齢者が、「最近のロケットはみみっちくていけねえや」などと嘆くのは、こういうのを見てきたからである。

年をとってよかったなと思うのは、子供時代の夢のまた夢みたいなものが、こんな風に手に入ってしまうことだ。冷戦下の当時なら、これを目にできるのはエリートの中のエリート、トップレベルの機密に接触できる限られた者だけ。大統領だって、見られなかったかもしれない。そして、この一冊のために、東西両陣営の諜報機関が、虚々実々、血で血を洗う謀略を繰り広げていたに違いない。
ダウンロードしたからと言って、日常生活の役には立たないだろうが、それを言えば会社の業務マニュアルも似たようなものだ。上層部の皮算用が詰まっているものより、人類の夢と叡智と根性が詰まってるマニュアルのほうがずっとありがたみがある。

新元号元年 元旦

あけましておめでとうございます。本年もよろしくお引き立ての程、御願い申し上げます。

新元号元年

さて、今年は改元が行われる、誠におめでたい年だが、新しい元号は5月1日からなので元年に元旦がない。よく考えてみると、平成は1月8日から、昭和は12月25日から、大正は7月30日からなので、どの元号でも、元年に元旦がなかったことになる。
これは一大事ではないかと思い、せめて自分だけは新元号で元旦を祝うことにした。新元号が何か、今の段階ではわかってないが、大した問題ではないだろう。これまでの改元では、天皇崩御に伴うものだっただけに、先取りして元旦を祝うなどとんでもない不敬であったが。

ちなみに明治は9月8日に改元したが、「慶應四年を以って明治元年とする」というお達しがあったので、慶應4年の元旦が明治元年の元旦である。

今年も大晦日

毎年大晦日に、記事を上げることにしているが、2015年はバイオリンを買った話、16年は日ハム優勝、17年はミサイルの話を書いた。なるべく縁起のいい話、景気のいい話を書きたいのだが、2018年を振り返ると、どうしても震災と停電の話題にならざるを得ない。

道路などの整備は終わったが、停電の影響は今も続いている。自分が聞いた範囲でも、酪農家では乳牛の搾乳ができなくなり、乳房炎にかかって処分せざるを得ないということがあったらしい。治療可能だった牛も、抗生物質の投与中は出荷できず乳を廃棄した。ことは北海道全域だから、その被害はどれほどになったのか見当もつかない。

新年に向けて気分は一新したいものの、忘れてはいけないことでもあるということで、検証委員会の調査報告書を読むことにした。「平成30年北海道胆振東部地震に伴う大規模停電に関する検証委員会」は、第二回の9月21日に発足し、下記のアドレスで会議資料が公開されている。一応被災者の端くれとして、根拠のあやふやな議論に巻き込まれず、事実関係はしっかり把握しておきたい。(読んで理解できる範囲だけであるが)
https://www.occto.or.jp/iinkai/hokkaido_kensho/hokkaido_kensho_1_shiryo.html

コンテナ物語

中国からバイオリンのアクセサリーを買った。値段は300円ほどで、送料無料。混載コンテナの空きスペースを利用すれば、ただ同然で国際輸送ができることは知っていたが、こうまで安いと、どこから利益が出てくるのか不思議になってくる。そこでこの際、長らく宿題になっていた、名著「コンテナ物語」を読むことにした。

工場など、出荷地点で貨物を金属の箱に積み込み、列車やトラックで運んで、箱ごと貨物船に搭載する。その発想自体は古くからあったらしいが、将来性が見通せなかったり、妨害があったりで、本格的に実用可動したのは1950年代だった。それまでは、港に着いたトラックと船の間で、人力で荷物をプレートに積んで船のクレーンで持ち上げ、積み下ろしを行っていた。また、遅れた貨物の到着を待って、先に来た荷物が何日も野ざらしで放置されたり、港湾労働者に盗まれたりしていたという。
当時、ニューヨークは世界最大の貿易港で、港には荒っぽい港湾労働者が組合を作って、新規参入や機械化に抵抗していた。ニューヨーク市もコンテナの将来性を軽く見て、必要な設備投資を怠ったため、しだいに対岸のニュージャージー州が貨物輸送の主役になっていた。

現在の港湾では、トラックはコンテナをその場に置いてすぐ次のコンテナを積んで出て行き、コンテナは貨物船をまたぐブリッジ型の大型クレーンで船倉に積み込まれていく。この間に必要な人員はほんの数名で、コンテナの中身や目的地、到着時間などすべての情報がネットワークで追跡され、クレーンの操作までが自動化されている。
港に到着したコンテナはトラックや貨物列車で目的地に運ばれるが、日本などの先進国では、港のクレーンはもちろん、ガード下やトンネルなどが、すべてコンテナトラックが通過できるサイズに修復されている。

また、コンテナ輸送はベトナム戦争でその効率性が評価された。コンテナ業者は米軍から復路に空のコンテナを積んで帰れるだけの金額を提供されていたが、さらに有効利用するまて、日本に立ち寄って様々な商品を持ち帰った。その莫大な輸出用の物流力が、日本の輸出を支えたという。

現在、コンテナ輸送の世界的なネットワークにより、原料や製品の海外輸送コストは、生産コストの中で無視しても構わないほどまでに小さくなった。原料の調達や部品の製造、組み立て、販売を、それぞれ別な国にするのも当たり前のことになった。一方、この国際間の輸送コストの削減は、生産活動の拠点をどんどん人件費の低い国にシフトさせた。その結果、もはや先進国に、大型の好況は起こりえない時代になったとも言われる。