ある人から蔵書をお勧めされて読んでいる。自分では読まないジャンルの本は新鮮な気持ちで読めるだけではなく、感想を添えてちゃんと返さなくてはいけないので、読み方も丁寧になる。自分はもともと買って読むタイプだが、買っただけで満足して積ん読になることも多い。なぜか無料の図書館の本のほうが、借りた以上、読まないと損をするような気がするので買うより良かったりするが、読みたいジャンルの蔵書は少なく、どんな本も期限が一律なので読みきれなかったり、逆にあっという間に読めて返却が億劫だったりする。
蔵書を借りて読むというのは、昔の人の読書法と同じように、読む者に覚悟が必要だ。
昔は本は貴重なのでよほどの人しか所有していなかった。例えば私塾や僧院などに入門し、重要な書籍を師匠から預かり、何度も声に出して読みつつ写本して写しを手元に残し、同時に頭に覚え込ませる。ここまでやって「学び」のスタートラインに立ち、あとは生涯かけて内容を考察し、自分の知恵とする。そうして大切に読み続けた写本は、さらに若い人に貸し出す。古典的名著は、そうやって伝えられてきた。
現代社会ではそんな悠長なやり方は通用しない。これはあくまで凡人、非才人でもそれなりに知恵に到達できるための、いわば猿でもできる学び方。意味はわからなくても暗記してしまえば、そのうち人生経験を積むにつれて「ああ、あれはこのことを言っていたのか!」と手を打つこともあるかもしれない。そんな不器用な読書法だ。だから、一読して内容に精通できる秀才にはふさわしくない。現代人は、膨大な情報を次々とチラ見するだけで、”頭に入っちゃう”秀才ばかりなのだ。
だが我々年寄はそうはいかない。頭は回らない、知らない単語が出てくる、読み疲れするという調子なので、時折昔の人に倣って声に出して読むことがある。それでも理解できなくなったら写本でもしようか。