蔵書を借りて読む

ある人から蔵書をお勧めされて読んでいる。自分では読まないジャンルの本は新鮮な気持ちで読めるだけではなく、感想を添えてちゃんと返さなくてはいけないので、読み方も丁寧になる。自分はもともと買って読むタイプだが、買っただけで満足して積ん読になることも多い。なぜか無料の図書館の本のほうが、借りた以上、読まないと損をするような気がするので買うより良かったりするが、読みたいジャンルの蔵書は少なく、どんな本も期限が一律なので読みきれなかったり、逆にあっという間に読めて返却が億劫だったりする。

蔵書を借りて読むというのは、昔の人の読書法と同じように、読む者に覚悟が必要だ。
昔は本は貴重なのでよほどの人しか所有していなかった。例えば私塾や僧院などに入門し、重要な書籍を師匠から預かり、何度も声に出して読みつつ写本して写しを手元に残し、同時に頭に覚え込ませる。ここまでやって「学び」のスタートラインに立ち、あとは生涯かけて内容を考察し、自分の知恵とする。そうして大切に読み続けた写本は、さらに若い人に貸し出す。古典的名著は、そうやって伝えられてきた。

現代社会ではそんな悠長なやり方は通用しない。これはあくまで凡人、非才人でもそれなりに知恵に到達できるための、いわば猿でもできる学び方。意味はわからなくても暗記してしまえば、そのうち人生経験を積むにつれて「ああ、あれはこのことを言っていたのか!」と手を打つこともあるかもしれない。そんな不器用な読書法だ。だから、一読して内容に精通できる秀才にはふさわしくない。現代人は、膨大な情報を次々とチラ見するだけで、”頭に入っちゃう”秀才ばかりなのだ。
だが我々年寄はそうはいかない。頭は回らない、知らない単語が出てくる、読み疲れするという調子なので、時折昔の人に倣って声に出して読むことがある。それでも理解できなくなったら写本でもしようか。

イメージ戦略考

一般に、企業や組織は「イメージ」でも判断される。大企業だけではなく中小、零細企業も同じで、企業イメージは時間が経つにつれて劣化していく。例えば創業時代には、経営者自らが取引先などを駆け回り、将来のビジョンなどを語る。その熱気は、毎日接する創業メンバー社員にも伝わる。それが年数を経て企業の規模などが大きくなると、顧客が主に接するのは社員になり、商談なども事務的、個人的になってしまう。そうなると「あの会社は昔は熱気があったが、今はただの◯◯屋さんになってしまった」と思われることになる。

日本は、失われた〇〇年の間にメディアからはイメージ広告が激減し、価格や品質の連呼型が主流になった。かつて華やかさを競ったデパートのショーウィンドウも、どこもスペースや展示物が縮小した。かつては華やかなディスプレイで季節の移り変わりを感じさせてくれたショーウィンドウは、ブランドのロゴがならぶばかりで、シャッター商店街さながらになった。これは、都心のドーナツ化現象とは「鶏と卵」の関係だと思う。

中小零細企業であっても、イメージ戦略は必要だ。商品、品質、サービスなどの充実に努めてきた実直な企業も同様だ。良いイメージほどささいなことでも劣化しやすい。良心的でありながら淘汰されてしまった企業は多いが、見えないイメージ劣化がその原因のひとつかもしれない。

シン・ジャポニズム

西欧社会では過去に何度もジャポニズム=日本趣味が起こっている。19世紀後半のゴッホの絵画やプッチーニの蝶々夫人などが有名だが、明治の開国や日本製品の海外輸出、戦争、国際イベントなどのたびに、日本ブームが起こってきた。それらの中には日本人からすれば少々首をかしげたくなるようなものもあったが、今また、映画やゲームの世界で日本ブームが起こってるようだ。

今年ディズニープラスで配信された「SHOGUN」は、エミー賞18冠という過去最多受賞を果たした。見どころは厳密に再現された当時の衣装、セット、風俗・習慣などで、セリフの多くも日本語だ。だが日本作品ではない。近年は本家の日本で侍を正面から扱った映像作品がでてこない。アイドルを起用したいがために、頭を剃り上げずに現代の髪型のままチョンマゲを乗せたり、下駄でタップを踊ったり...。愚痴はともかく、SHOGUNは世界が久しぶりに見る、本格的ジャパニーズ侍ワールドである。
この精密な日本文化のブームは、2020年に発売されたプレステ用ゲーム「ゴースト・オブ・ツシマ」から始まったように思う。鎌倉時代、押し寄せる元寇軍に単身立ち向かう対馬の侍という、思い切り渋い設定で、細部まで厳密に再現された装束、武器などは映像だけでも衝撃的で、世界的なヒットになった。
そしてこのたび、ゴーストオブツシマのシリーズ第二弾である「ゴースト・オブ・ヨウテイ」が発表された。ヨウテイは羊蹄山のこと。1603年の、江戸時代初頭の蝦夷地が舞台らしい。いきなり北海道が出てきてびっくりだが、麓のニセコが道民もおいそれとは近づけないような国際的なリゾートになってるので、不思議ではないのかもしれない。映像は、クロサワが監督したの?と思うほど日本的である。

そんなふうに日本の歴史がクローズアップされるのはうれしいが、残念なのは時代劇のDNAが日本に残らないことだ。ポケモンやワンピースは今でも新作が公開され、作品世界や登場人物は常にバージョンアップされている。同じように時代劇を作り続けなければ、侍ワールドはハリウッドのものになる。大河ドラマを制作するのに、将軍やお局様の豪華な衣装や甲冑をハリウッドからレンタルし、江戸城大広間や、無数の人馬が斃れる関ヶ原などのCGデータを買うことにも。そうしないとクオリティで負けてしまうからだ。

※なんでもシンをつけるのは、かえってジジくさいかな?