このブログは、なぜか料理関係の記事にだけはリクエストがある。そこで今回は、以前所有していたポイキーと呼ばれる深鍋について。
これは、アフリカ全土で使われている、鋳鉄、またはアルミ鋳造の深鍋である。これで作る料理のことを指す場合もあるようだ。
買ったのは南アフリカ製だが、アフリカ全土で同じ形の鍋が作られているらしい。大きさも10センチ程度のものから、子供が入るようなもの(食べるわけではない)まで、さまざまだ。地面に直接置いて、三本の長い足の間に薪を差し込んだり、つるで火の上に吊ったりして使う。10年以上前に、好奇心だけで取り寄せてしまったが、とにかく重く、屋外で使う機会がなくてコンロに乗ようとすると、足がじゃまになる。なんとか汁受けカップの部分に乗せて使ってみたが。あまりの重さにコンロがミシミシ言った。
だが、できた料理はうまかった。なんというか、和食とはぜんぜん違う旨さで、まずくなりようがない調理法だと思った。その日取れた獲物と、そのへんの野菜を放り込んで火にかければ、誰にでもうまい食事が作れる。多少コゲても、鍋の厚みのせいか、食べられない苦さではなく、おいしい香ばしさになってしまうような感じだ。タレントがアフリカの集落を訪れて、食事に招かれるというような番組があるが、あれは決してまずいものを食べていたわけではなかったのだと知った。
また、最近はアフリカが文化的未開地帯だったわけではなく、高度な文化があったことがわかっているが、食文化についても、誰でもうまいものが作れるという方向に発展したのだと感じた。要はハダカで暮らす文化人だったわけで、それが飢餓や貧困に陥ったのは、主にヨーロッパのせいだ。
10年ほど前に手に入れたものなので、もしかしたら日本で最初だったとしても不思議ではない。正直その時は、「売れる」と思った。厚手の鋳鉄鍋ということで、使い心地はル・クルーゼやダッチ・オーブンと似ている。オーブンには入らないが、カマドを作らずに地べたで、下に薪を差し込んで使えるぶんだけ、よりワイルドだ。なにより、ル・クルーゼやダッチ・オーブンより遥かにデザインが優れている。それは長い年月、アフリカ全土に広まりながら磨かれていった機能美だ。
熱くなる蓋の取っ手を引っ掛けるフックや、料理をかき混ぜる「ポイキー・パドル」は、所有者が趣向を凝らしたデザインで、木などを削って作ることになっている。凝り性にはたまらない世界だろうし、エキゾチックな料理の飲食店でも、演出効果があるだろう。
が、持ち腐れ感が強くなってきた。そこで、ガーナのドラムの名人で、料理上手な知人が北海道に移住してきたのを機会に進呈した。
サバイバルですね。「ワイルドだろう?」ってわけです。釣り針と釣り糸さえあれば生き延びられます。イヤ?針金とテグスですかね。針金を叩いてつぶして釣り針や,ヤス(モリ)を作って火を起こして焼きを入れて釣りや,狩りの道具は作れますからね。今度,非常持ち出しのリュックには針金が必要ですね。手作りギターの弦にもなりそうですし。
実は?僕も面相筆でレタリングをやっていた,今では貴重な?一人です。面相筆とガラス棒と溝指しさえあれば,PCなど要りません。昔の職人の道具ってシンプルですよね。
以前、「自分は専門学校も行ってないし、写植も分からないが、PCがあるから問題ない」というデザイナーに初めて出会った時はちょっと驚きました。今はそんな人ばっかりかもしれませんが、機械なしで、身ひとつでも作業ができるほうが本物な感じがします。万一無人島に流れ着いても、格好いいSOSが描けますしね。
鍛造方法もずいぶんシンプルなんですね。それにしても,あれだけ熱い銑鉄を扱うのに,素手と素足に近いサンダル履きとは驚きました。鉄を溶かす炉は電気炉ですか?
どうということのない場所で、普通の職人さんが作業してますね。こういう手仕事は、日本ならコダワリの匠風にアピールしない限り残っていけないでしょう。
こういう動画を見ていると、今自動化された工場で作ってる製品も、最初は手作業だったんだと気づきますね。我々の業種で言えば、面相筆でレタリングができる人という感じでしょうか。こういう根本的な技術は応用が効くから、日本でもなくしてしまわないほうがいいような気がします。
アルミと書いてあるから電気炉なんでしょうね。
街中のマンションではベランダで調理しても顰蹙を買うでしょうね。これは絶対に田舎に限りますね。僕も囲炉裏の生活をして来た経験上,今でも囲炉裏が恋しいです。この鍋だとほんの少しのスペースで調理できますね。焚き木も拾えるような所なら最高ですね。