先日、歩くと楽器演奏が冴える話を書いた。血流がよくなって、頭まで血液が行き渡るためらしい。長い間、足の裏を踏み込むから血液を押し上げるのだと思い込んでいたので「足裏ポンプ」と書いたが、正しくは、ポンプの役割を果たすのは足裏ではなくふくらはぎの収縮らしい。ちょっとした勘違いだが、その効果はちょっとどころではなかった。
その後も何度か歩き回ってへとへとになる日があった。いつもなら座り込んで何もしたくなくなるが、あの記事を書いた手前こんなくたびれた状態でも脳が冴えているのか、バイオリンで試してみた。するとやはりぜんぜん違う。毎回同じ伴奏音源に合わせているので、ついていくのがやっとの日もあるのに、歩いた後では余裕をもって弾ける。
自分がいま冴えているか、ぼんやりしているのかは、実は自分で判断できないことなのだと思う。調子が良し悪しを判断する脳の性能が落ちていれば、本当はハイマーががっていても、オールオッケー、ノープロブレムと感じてしまうかも知れない。もちろん無理して楽器を弾く必要はないが、歩くかどうか大きな違いだと思う。
ここで世の高齢者に言いたい。歩かなくていいよ、窮屈に考えないで楽に生きようと。幸せへの道はそっちにあるかもしれないし。だが私は歩く。そして自分だけ冴えた年寄りになってやるのだ。
いやいや、そんな年寄りどこにもいませんから。第一ネットに強く、CGなんかもお手の物。サイト管理も、英語にも強く、太陽を周期する探査衛星に記念ネームプレートを乗せたり、ブログには音楽や映画情報とか楽器演奏など数えればキリがないですよ。そんな年寄りは居ないですから運動機能も頭脳も同時に衰えるのが普通ですよ。
最近はすごい年寄が多いですよ。先日も85歳の人が大きな新人賞をとったそうです。85歳なら、定年退職したときから始めてもなんとかなるんじゃないでしょうかね。江戸時代の年寄は隠居してからが花だったようです。大名などは現役時代は1日中監視の中で窮屈に暮らし、家督を譲ってからは絵を描いたり芝居見物したりして暮らしてました。商家も隠居してから浄瑠璃や長唄に打ち込み、エドの芸能はそういう人たちが支えていたそうです。
確かに足は極端に弱って来ました。やせ型の体型にしては、幼少期から青春期にかけて田舎で、自然に鍛えられた分、ふくらはぎだけは結構太く、子持ちシシャモの様で、その点血流では助けられているのかも知れません。ただ、数年前までは多忙な毎日を長い間クルマに頼ってばかりでしたから、その分、足も退化傾向なのでしょう、疲れますね。最近になって、出来るだけ歩くようにと公共交通機関を利用するようにしています。地下鉄もコンコース間の距離が結構あって自然に歩くようになりますからね。バスも既定の停留所しか停まりませんから目的地へ歩いたり、その逆で停留所まで歩けば、結構な運動にも成ります。しかし、平地を歩くのは良いのですが、上り坂や階段は辛くて早く登れませんね。階段も二段飛ばしで駆け上がっていた頃が懐かしいですね。不思議なもので、同じ歩くにしてもアスファルトよりも芝の方が快適ですね。ゴルフなど辞めて久しいですが、芝生の公園など有れば、足への負担も軽く快適に歩けるのは間違いありません。ところで楽器と言えば、トランペットやサックスは暫く触って居ませんでした。運指さえ忘れると大変ですから、そろそろ始めなければと思って居ます。使用前後の手入れが面倒な管楽器に比べて比較的手軽なクラシック・ギターで時々遊んでいます。下手なのか?家内からは嫌われて居ます。今後は比較的、家中に音が聞こえにくい?と思われる地下室で扉を閉めて鳴らそうかと思って居ます。家内は若い頃にはヴァイオリンを弾いていたのですが、今では楽器とは全く縁が無く、音楽は聴く方専門ですね。
公共交通の割引が適用になってから、行動半径がだいぶ広がりましたが、遠くまで行けることに満足して、案外歩いてなかったりします。階段は膝が痛くなるので、すぐエレベーターに乗ってしまいます。多分いくつになっても動けば動いた分筋肉がつき、指を動かせばその分スキルも向上すると思いますが、意欲の減退が問題でしょうね。イヤなニュースを読むと気分が沈んで、運動する気が失せたりします。それはそれと割り切りにくくなってるのは、我ながら年寄りっぽいなと思いますね。