転調してみた

高齢で思考力が低下しても、楽器演奏などの「手続き記憶」は低下しないという記事を読んだ。はて?「楽器を演奏すると思考力が低下しない」のではなかったのか・・・。
同じことの繰り返しだけならボケてもできるというなら、日頃のバイオリン演奏にアレンジを加えてやろうではないかと、十八番のテネシーワルツを後半で転調してみようと思いついた。聴衆を意識した見せ場づくりである。(そんなのいないけど)。

さて、転調が格好いいのはわかるが、実際どの程度ずらせばいいか浮かんでこない。AIに聞いてみると1度が普通らしい。ということは、今までDのキーだったので後半をEにするか、またはCで始めてDに転調するか。これについてはC用の伴奏動画がすぐ見つかったので、「前半は新たにCで練習し、後半で慣れたDでばっちり決める」という皮算用が決まった。さらにAIからは、ダブルストップ(和音)で盛り上げてはという提案が。大賛成である。

未熟な者ほど求める情報から遠い場所にいるわけだから、ネットで検索したくても、キーワードからしてわからないことも多い。これまでの検索ではたどり着くまでは大変だった、あやふやな言い方でも受け付けてくれるAIは、不案内なジャンルなほど有用だ。

AIから、DからCへ下がる転調とどちらか訊ねられた。そういうのもあるのかと思ったが、メロディが頭に思い浮かばない。

弱点は無視すると克服できる

一人で楽器を練習していて難所で間違うと、ちょっと悔しくてその場でやり直したくなるが、間違った箇所を何度も繰り返し練習してはいけないらしい。「エラーを学習してしまう」からだという。その説明に説得力をあったので、最近は伴奏音源を流しながら、失敗してもそのまま先を弾いてしまうことにしていた。すると、確かにそのほうが成果があるようなのだ。

例えば1曲の中になんとか弾けるAとCの箇所と、どうしても引っかかるBの箇所があったとする。Bの部分に戻って何度もやり直すと、その部分だけ弾けるようになったつもりでも、全体のパフォーマンスが下がって、最初から弾くとまた失敗するだけでなく、ちゃんと出来てた後半まで調子を悪くしてしまう。
これを間違っても気にせず、そのまま伴奏に合わせて弾ききるようにすると、戻ってやり直すよりも、B箇所を弾く時間が減ってるはずなのに、だんだん間違わなくなるのだ。

うまく弾けているつもりのAやCの箇所も、決して完璧なわけではない。Bの箇所の失敗と比べても、実は大同小異の出来であり、改善の余地はある。失敗に構わず弾ききるようにすると、AやCの箇所は練習した分さらに良くなっていく。すると、引き上げられるように、弱点だったBも自然に上達してしまうのだ。
通して弾くやり方だと、AやCがさらに上達して慣れや余裕が生まれ、その分Bに集中できるのかもしれない。もしかしたら、問題箇所に差し掛かるときに感じる緊張は集中ではなく、ただの軽いパニックで、A、Cに出来た余裕のおかげで、Bに集中して取り組むことができるようになっただけかもしれない。他のいろいろな問題解決にも通じるコツがわかったような気がする。

30タイプのフィドル演奏スタイル

フィドルとはバイオリンのこと。この2つは全く同じ楽器だが、カントリーなどのPOPSや民族音楽で使うときはフィドルと呼ぶ。バイオリンはクラシック音楽の楽器という印象が強いが、実はさまざまな国の民族音楽で使われていて、むしろクラシック以外の演奏者のほうが多いのではないかと思うほどだ。

民族音楽でのフィドルの演奏スタイルは、国が違ってもどことなく似ている気がしていたが、それを一堂に集めた動画があった。

早いテンポで絶え間なく音を出すスタイルは、ヨーロッパの民族音楽のほか、カントリーやブルーグラスなどのアメリカ音楽にも登場する。これは一見高度なテクニックのようだが、一度置いた左親指のポジションをその場から動かさず、4本の指で無理なく届く範囲の音を拾い続けるだけ。ビブラートもあまり使わないので、派手な割に慣れれば演奏しやすいかもしれない。
フィドルの軽快なリズムは、集まって手拍子を打ち、踊るのにぴったりだ。また、フィドル自体も非常に軽く、最初に我が家に届いたときも梱包込みなのに中身が入ってるのか心配になったほどだ。酒場でも屋外のダンス会場でも、どこでも気軽に持ち込んで観客の踊りのBGMを奏でたのだろう。そして人々がヨーロッパから新大陸に移民したときにも、軽いフィドルは他の楽器よりもたくさん持ち込まれ、故郷の音楽のスタイルとともに広まっていったのではないだろうか。

ところでこのプレイヤーのフィドルは、黒いフィンガーボードの上に、白い松ヤニの粉がついたままだ。こういうことをするのはクラシックのバイオリニストではなく、フィドラーである。だから私もそうしようとしばらく松ヤニをとらないでいたが、松ヤニの上にホコリが付着してひどいことになってしまった。外見だけマネしても、フィドラーにはなれないということだ。