サバ缶ヴィンテージ

昔からサバの水煮缶が好きだった.特に食べるとすぐ崩れてしまう中骨と,身と違ってしっかり脂肪の残っている薄腹の部分の味わいは,他の調理法では得られない缶詰ならではのものだ.ところが大人になってから食べても,どうも醍醐味に欠けるような気がしていた.食生活が豊かになったせいだと思っていたのだが.

10年以上前,食品流通の会社を取材した際,サバ缶が旨くなるのは賞味期限が切れてからで,販売できなくなったものを,社員が奪い合いをするという話を聞いた.なるほど,自分の味覚が変わったのではなく,早く食べ過ぎていたのか.これは試さなくてはと思ったが,なんだかんだで実際に買い込んだのは2011年.これは足掛け6年に及ぶ,真のサバ缶の追求の物語である.

サバ缶は本当に消費期限が切れてからが旨いのか.確か子供時代のサバ缶は,1つ2つわざわざ買ってきたりせず,押し入れか何かからホコリを被ったようなのを出してきてた覚えがある.親の世代特有の食品買いだめをやっていたのだろう.冬に買い物が不便になる北海道で生まれ育ち,また戦後の食糧のない時代を経験してきた人たちは,決まって保存食を貯めこんでいたものだ.子供時代のサバ缶もそんな買いだめのひとつだろうから,普通に賞味期限切れもあったのだろう.

少しでも賞味期限の迫ったのを求めて,サバ缶はスーパーでもワゴンセールなどの見切り品を狙ったのだが,それでも期限は数年後になる.その時は面白がっていても,何年か後には絶対バカバカしくなってるだろう。そう思うと,しばらく手を出せないでいた.が,ある日,自分ももう若くないのだということに思い至った.たとえ無為徒食のような人生でも,年月の積み重ねには何かの意味があったと身を持って示したい.そこでついに数個のサバ缶を買い,他の恥ずかしい思い出の数々とともに,押し入れにしまいこんだ.そのとき、賞味期限の2015年某日まで4年.ちなみに,購入直後も食べてみた.サバ缶自体久しぶりだったが,やはり醍醐味に欠けた.期待していない鮮度だけが印象に残る味だった.

サバ缶のヴィンテージは製造日ではなく,賞味期限で語られるべきだと思う.2015年の賞味期限を1日だけ過ぎたある日,満を持して開封したそれは,まだ若々しさの残るヌーボーというべき味だった.悪くはないが,4年も待った甲斐があったと言えるほどではない.もしかしたら今のサバ缶は製造法などが変わり,ここが頂点なのか?望んだものは決してその通りには手に入らず,いつもかすかな失望を伴う.その時のサバ缶は,確かに人生の味がした.

で、先日,そんなことも忘れてしまっていた頃に,賞味期限をしっかり1年以上過ぎたサバ缶を見つけて開けた.ちゃんとホコリを被り,心なしか色あせたように見える缶.できればプルトップではなく缶切りで開けたかったが.

ただし,開けた時の景色は,期限切れ直後の去年とはだいぶ違っていた.若い缶は隙間なく身が詰まっているが,今回のは身が溶けて細くなったのか,煮汁の隙間で泳いてるようだ.また,若い缶のようなピンクっぽい鮮やかな身の色や,骨の硬さはどこにもない.煮汁の透明感はなくなり,ところどころに白いモヤのような凝固物がただよう.味は全体に塩味がよくまわっていて,コクが増している.アミノ酸も増えているようだ.

それは昔と同じだった.ただそれだけのことが実にうれしい.

鯖水煮缶

次回「リズムとズレ2」(6/20投稿予定)
乞うご期待!

One thought on “サバ缶ヴィンテージ

  • 6月 16, 2016 at 16:54
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    サバ缶もうまいですが、昔、父がやっていた方法を教えます。父は東京湾で釣り上げたハゼを、よく甘露煮にしていたようですが、田舎に戻ってからは川魚のウグイでも鮎でも甘露煮にして食べさせてくれました。田舎ではウグイなど食べる人はいませんでした。第一に枝骨だらけで煮ても焼いても食べにくいのと、いくらでも釣れる魚ですから子供たちも釣る面白さを味わうだけでした。父はそんなウグイを上手に甘露煮にして食べさせてくれました。まるで缶詰とおんなじように骨まで柔らかく全部食べられました。方法は番茶の葉っぱをたくさん入れて甘辛く醤油と砂糖で煮込んでいたと覚えています。番茶の葉から骨を柔らかくする成分が出るのでしょう。もちろんお茶っ葉は捨てますが、出がらしのお茶っ葉を使っていたかも知れません。とにかくお茶の葉っぱには間違いありません。自家製の缶詰も夢ではありませんよ。缶詰と言えば小樽の缶詰工場でノベルティを作ったことがあります。自分でも作れる機械もありますね。缶は仕入れなければならないでしょうけど。

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