不思議な憲法9条改正論議

ウクライナ情勢を目の当たりにして、日本国内でも安全保障に関するいろいろな意見が聞こえるようになってきた。当然である。あれを見て、自分ならどうするか、考えないほうがおかしい。で、当然のように憲法9条の改正が論議を呼んでいる。論議しているのは主に我々のような高齢者だが、同じ高齢者の自分から見て、どちらの言い分も、昔から何度聞いても、なんとなく妙なのだ。まるで、憲法の文言を変えると国の有り様まで変わってしまうとでも言うような...。

では、実際に他国の軍隊が押し寄せてきたらどうするか。答えはその時考える、その場その場で対応するしかないだろう。その時に憲法を読んでから何かをするわけではないし、みんなが揃って同じことをしなければならないわけでもない。日本は自由主義の民主国家だから、たとえ戦争下であっても、言論や行動の自由はある。実際ウクライナ国民も、あるものはジャベリンで戦ったが、別の者は負傷したロシア兵を病院に運んだり、食事を与えたりしていた。いざというとき敵と戦えるか、さらに敵にさえ手を差し伸べられるか。国民一人ひとりにとっては、文言の問題ではなく、勇気や覚悟の問題なのではないかと思う。

憲法などで戦争放棄や専守防衛をうたっているのは日本だけじゃない。そういう国もちゃんと軍隊はあるし、敵が来れば戦う覚悟は持っている。文言以前の問題だからだ。9条論議ではまた、「若い人を戦場へ...云々」という言葉もよく聞くが、これが一番気になる。おやおや、若い人だけ戦わせる気なの?むしろ子供や孫を先に逃して、老い先短い自分が火でもつけて、すこしでも時間稼ぎをするとか、そういう風に考えるのがウクライナの教訓じゃないのかな?

また、自衛隊にとっても憲法以前のいろいろな問題があるらしい。我々は、実は心の奥底で「でも、本当に敵が襲撃してきたら、自衛隊が戦ってくれるんだよね」と考えている。だがそうはいかないかもしれないのだ。例えば戦車は緊急車両ではないから、どんな時だろうと制限速度は守らなくてはならない。消防のヘリは緊急着陸して住民を保護できるが、自衛隊のヘリはできない。
とはいえ、実際に戦争が起これば、戦車はキップ切られつつも最大速度で反撃に向かうだろう。そうなると「日本の”軍隊”が、法のコントロールを逸脱して勝手に行動を始めた」「軍隊のヘリが校庭に”違法に”着陸して、生徒を収容している」というようなニュースが世界に流れる。これでは外国企業や資金は我先に逃げ出すだろう。改憲反対派も賛成派も憲法論議は後回しにして、そのへんを考える時だと思う。

3 thoughts on “不思議な憲法9条改正論議

  • 4月 24, 2022 at 00:44
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    これからの戦争は、始まってから初めて動き出すとなると既に終わってしまう可能性も無きにしもあらずですね。ウクライナでは陸続きと言う事もあって戦車戦や短距離ミサイルやこれまでの戦争のやり方が未だ主流のようです。しかしこれまでと違うのはドローンや無人機ですね。今後は歩兵同士での打ち合いは無くなる代わりにAI戦になる可能性は高いでしょうね。我が国のような島国となれば、見えない彼方からICBMなどが飛来してくるでしょうし、一極集中の東京あたりに照準を合わされたとしたら国の防衛機能も役に立たないかも知れません。ですから攻撃ではなくあくまで防衛システムの確立が大切なのではないでしょうか。とは言ってもミサイルの機能も急ピッチで向上していますからそのためにも、あくまで防衛のための研究開発は必要でしょうね。最近の周辺国の不穏な動きもあって、原発も多い我が国ですから、このままでは危険ですね。

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    • 4月 24, 2022 at 03:20
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      今の戦闘は、戦車などにドローンがつきまとってレーザー照準を当て続け、それをガイドに遠くからミサイルが飛んでくるそうですが、ロシアにも備えがあったはずでした。自動照準でミサイルを落としたり、妨害電波をできることになっていたのが、全然できてないのが不思議がられてます。

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    • 4月 24, 2022 at 03:36
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      ICBMも怖いですが、特にテロがいやですね。他国内でも放射性物質を使った暗殺をするような国ですから。ネット上では何年も前から攻撃が始まっていて、サーバーも対策のためにしょっちゅうアップデートしています。なかなかうっとおしいです。

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