今回の李子柒は、柿酢と干し柿。

糖分のある果実などは、放置しておくとやがてアルコール発酵し、その後酢になる。酒造りの難しさに対して酢を作るのは簡単なようで、レストランなどでは余ったワインの口を開けて放置し、ワイン酢にして使うこともあるという。今回の柿酢の作り方も、壺に入れて保存するだけと、実に簡単だ。時間は1年以上かかってるようだが、煮沸消毒等をしている風でもない。ただし実際の酢づくりでは、もっと表面にカビのようなものが浮かぶのではないかと思う。そのへんは演出なのだろう。
さて、最近このシリーズは、以前と微妙に変わってきた。もともとは本人がひとりで撮影から編集までやっていた。それもスマホを使っていた時期もあったそうだ。だから調理シーンなども、上半身と作業スペースが全部見える固定アングルが続いた。BGMも控えめで、ときどき久石譲をちゃっかり使っていたりと、個人作業感いっぱいだった。最近はカメラマンがいるそうで、顔のアップから手元へと、頻繁にカットが切り替わるなど、より説明的になった。進化したとも言えるが、普通になってきたとも言える。また、イメージカットの挿入も増えた。以前は個人でもプロ作品に近づけようと、頑張ってイメージカットを挿入していた感があるが、今は簡単そうに入れている。こういうカットは雰囲気を盛り上げる効果もあるが、制作側の尺稼ぎテクニックでもあるので、多用するせいで全体が薄味になっている。
一番気になるのが、新品の小道具が増えたことだ。もともとは個人の家で長年使ってきた道具や調理器具に囲まれて、昔から伝わる作業をしてみせていた画面に、今は時々新品の器具が混じる。他の部分はより精密な仕上がりになっているのに比べ、いかにもうかつであるが、これは日本人とそれ以外の人間の感性の違いが現れてしまうのだと思う。実は、生活用具にまで使い込んだ古いものの味を感じるのは、日本人以外では少ない。使い古した民家の壺を茶壺にし、囲炉裏のススで燻された竹を削って茶杓にした千利休の侘び寂びは、かなり変わった価値観なのである。名作名品が古くなったものならともかく、生活用具は新しければ新しいほど良い、というのが世界の一般的な感覚だ。だから関わる人間が増えてくると、その回のテーマに必要な道具は、ちゃっちゃとどこかから調達して済ませてしまうのだろう。あげく、テーブルの上が華やかなヌーベルシノワのようになってしまう。
このシリーズも見始めた当初は、百万回再生がいくつもあってなかなか人気のシリーズだと思った。日本人と中国人に共通する古い生活文化がが、現在は千万単位がざらである。関わる人間や視聴者が増えるにつれて、動画のテイストは中国人の美意識に引っ張られていくだろう。すでに、厚化粧になったと指摘する人もいる。中国では、まだまだキレイ=厚化粧なのだろう。シリーズはこれからさらに変貌していくだろうが、実はそこが面白かったりする。
