裸の王様の耳はロバの耳

先日、ふと自分は「裸の王様」と「王様の耳はロバの耳」の違いが、はっきりわかってないことに気がついた。検索すると「裸の王様」はアンデルセンの童話で、仕立て屋の口車に乗って裸で行進し子供に指摘された話というのは覚えていた通りだったが、「ロバ耳」はギリシャ神話の一節で、「裸」とはだいぶ違っていた。

ミダスという王様が田園の神で角笛の得意な「パーン」と暮らしていたが、ある日パーンは竪琴の名手である太陽神アポロンに音楽合戦を持ちかける。神々の審査の結果はアポロンの圧勝。だが、ミダス王だけがパーンに投票したので、アポロンは怒って王の耳をロバの耳にしてしまう。王はロバ耳を隠して暮らしていたが、ある日床屋にバレてしまう。床屋は秘密を誓ったが、我慢できなくなって土に穴を掘って「王様の耳はロバの耳」とさけんだ。するとその土から生えた葦が「王様の耳はロバの耳」と喋りだし、バレてしまう、という話だ。なんとなく覚えているのは穴を掘って叫ぶところだけで、アポロンとかは全く記憶にない。はじめからうろ覚えだったのか、それともペロリと忘れてしまっているのか、年寄りの心はデリケートに揺れ動く...。

ところで「ミダス」という王の名は、触ったものが金になる王様と同じだ。調べるとこれが同一人物。その辺の経緯はギリシャ神話によると、ある日ミダス王は半神半獣のシレーノスが酒に酔いつぶれているのを見つけ、連れ帰って介抱した。そしてシレーノスから礼として、触ったものがなんでも金になる力を得たが、食事もできないうえ、娘まで黄金像になってしまう。そこで泣きを入れてもとに戻してもらう。
この出来事のせいですっかり富と贅沢を憎むようになったミダス王は、田舎にひきこもり、田園の神パーンと暮らすようになった...で、ここからは前述の通りである。

強欲な王様の話と思っていたが、今読むと。少々おっちょこちょいで自分の欲望に忠実なだけの、自分と変わらない人物である。周りのエライサンのせいでひどい目にあっただけの、むしろ好人物だ。

7 thoughts on “裸の王様の耳はロバの耳

  • 11月 12, 2023 at 10:15
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    ジョークが通じ合えたり、言える人は楽しいですね。咄嗟に気の利いたジョークで返すのが最高ですね。頭が柔らかく無いとできませんが。硬い話は何処まで言っても硬くて、どんどんつまらなくなりますからね。どうせお喋りするなら楽しい方が良いですからね。昔、叶わなかった夢を、如何にもかなえてきたようにスラスラ話すホラ話でも。

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    • 11月 12, 2023 at 15:39
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      子供時代を思い返すと、昔のお年寄りは話の中に他愛もないシャレや語呂合わせがポンポン出てきたように思います。フーテンの寅さんの口調のように。ああいうのも悪くないと思いますが、コンビニで店員が「ありがとう、ならイモムシははたち・・・」とか言っちゃいけないんでしょうね。

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  • 11月 11, 2023 at 09:45
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    その手がありましたか?両ポケットにはブルースハープ、膝にはギター、ベンチにはトランペットとサックスケース。大袈裟すぎますか?。

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    • 11月 11, 2023 at 11:06
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      この楽器は何かと聞かれたら、「これはみんなその頃のバンド仲間のものさ。こうして時々街を見せてやらないと夜鳴きするんでね」と答えましょう。現代人は、そういう芝居がかった話にけっこう弱いですよ。「日本語が上手くないという割に洒落たことを言う」などと、疑う人はまずいないでしょうね。年寄りが言うから通用するホラ話というのがあって、現在研究中です。例えば戦後の焼け跡にからめると、なんでも信じてもらえます。実際の子供時代はけっこう経済成長していたし、そもそも空襲されていませんが。2.26事件を体験したかのように語っても、信じられてしまうんじゃないかと思ってます。

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  • 11月 11, 2023 at 07:44
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    日本昔ばなしなら未だしも、外国ものとなると、物語のストーリーは余りハッキリ覚えていませんね。我が家には立派な全集など無かったので、小学校の図書室で読んだのか?親から聞かされたかさえも定かではなく、記憶は曖昧ですね。小学校の学芸会で自分が演じたのは、花咲じじいとか金の斧銀の斧とかイワンの馬鹿?とか、確か他にもありましたが、それさえもハッキリと覚えていません。ただ、今思えば私の父母がとても熱心に、しかもリアルに衣装や小道具を手創りしてくれたお蔭で、いつも主役をさせられたように思います。先生も楽だったのでしょう。そんな状態でもセリフを暗記する事は出来たのですから、自分の事ながら、ストーリーくらいはしっかり覚えていて欲しかったですね。この辺で童話も読み直しする必要がありますね。図書館から借りた童話を数冊、公園のベンチ辺りで広げて読んでいれば、きっとボケ老人に見られる可能性は大ですね。幼い孫でもいれば読み聞かせる手も有りますが、あいにく孫も高校生ですから。

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    • 11月 11, 2023 at 09:00
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      桃太郎や浦島でさえ、最初にどこで知ったか思い出せません。そこがまた、伝承のいいところなんでしょうね。児童書を読むくらい自分がわかってる年寄りなら、ボケは無縁でしょう。むしろ急に「宗教とは何か」みたいなのを読み始める方が危ないです。公園で児童書を読むにしても、サックスのケースを横に置くだけで、人は勝手にドラマを思い浮かべるでしょう。誰かに声をかけられたら、終戦直後、赤ん坊のときにニューヨークに引っ越しそのままストリートミュージシャンをしてた。両親の国を見たくなったのできたけど、日本語は上手くないので勉強中だ。とかなんとか言って、日頃鍛えたサックスを聞かせれば、ちょっとしたヒューマンドラマの出来上がりです。メディアも放っておきませんね。

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      • 11月 11, 2023 at 09:02
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        これも小道具の力、ということで。

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