
中国の魏晋南北朝時代の王羲之(おうぎし)は、書の国中国で書聖と称された人物で、「蘭亭序(らんていじょ)」はその代表作。書道の至宝であるが、その実物は上の画像の通り、無数の印が押されている。これは代々の所有者が自分のものであることを示すために押したものだという。蘭亭序はその印影も含めて鑑賞すべきものらしいが、書道に明るくない自分からすれば冒涜のように思えてならなかった。織田信長の正倉院の蘭奢待の切り取りと変わらない蛮行のように感じていた。
そこで、画像処理ソフトを使って印影を消してみることにした。やり方は印影や文字のない部分の細片をコピーして印影の上に貼っていき、境目の気になるところをブラシで修正していく。原寸では赤と黒がはっきり区別できるが、拡大すると墨と朱が混在していて、どこまで消していいか判断に迷う。1ドット違っても筆跡が変わりそうで緊張するが、古美術品の修復作業にも似た醍醐味もある。気が向いた時に取り出してちょっと手を入れるだけなので、始めて何年にもなるのに先はまだまだ遠い。


その昔、王義之が蘭亭に名士42人を招いて曲水の宴を催し、その際に各人が読んだ詩集の序文として王義之が書いたのが、この蘭亭序の様ですね。それにしても、一字一字丁寧な筆跡に感心しますね。こんなに丁寧に書けば相当時間が掛かるのではないかと我々素人は心配しますが、ご本人には身についているから成せる技なのでしょう。良く見ると『亭』の字など我が国の活字化されたものとは『丁』の部分が違っていますね。つまり書のお手本から我が国で若干アレンジされたのでしょうか?しかし無数に押印された朱印を本来の姿に復元とは遺跡発掘にも似た壮大な作業ですね。特に朱印と文字の重なった部分の印影は余程慎重に作業しなければ簡単には消せませんね。さらには汚れなども消すとなれば気が遠くなるほど先の見えないライフワークですね。繊細さと根気が無ければ出来ませんね。正に現代版『王義之』ですね。
ぱっと見ごく普通な感じがして、これくらいなら手紙で書く人も多いですが、そこが大事なところだと思います。王羲之以前の書体は角ばった隷書が主で、なにかに刻むための書体という印象ですが、王羲之以後、筆ですらすら書ける書体が一般化しました。その後の手紙や本、広告デザインなど、あらゆる文字文化の中にDNAが受け継がれています。なのでそれに手を入れるのは冒涜かもしれませんが、その罰当たり感もやっていて楽しいところです。