また、不快なものを見てしまった

よくQ&A式のサイトで,バイオリンの独学をしたいという質問に対する答えが実にひどい.独学の音は他人に聞かせてはならないシロモノで,姿勢から何から見苦しい,等々が延々と書き連ねられている.実際にその通りなのだろうが,ちょっといじってみたいという軽い気持ちで読んだ者は,トラウマになるだろう.私も始めの頃,情報を探しているうちにこの類にぶつかり,すっかり気分が落ち込んだ.やっぱり買ってみようかと思うまで,数ヶ月はヤラれてたと思う.だから今でもなるべく日本語で書かれたバイオリン関連サイトは見ないようにしているのだが,先日つい出くわしてしまって,久しぶりに不快な気分にさせられた.

中には「独学でも動画を上げてくれれば,指導してあげられる」という人間味のある書き込みもあるのだが,マレだ.ひどいのになると,他人の演奏動画にリンクを貼って「これでもバイオリン指導者らしいが,ここがだめ,ここもだめ」と,延々とケチをつけたりする.気の毒に,リンク先の動画は削除してしまったらしい.そこまで言うなら自分の演奏をアップしてみせろと言いたいが,こういう輩は絶対そんなことはしない.根っから高慢ちきな卑劣漢なのである.

私が独学を考えたのも,指導者がそんな人間かもしれないと思ったからだ.お稽古ごとの指導者は,その道のプロというより,プロたり得なかった者も多い.そして生徒が力を付けて巣立っていくことより,いつまでも月謝を払ってくれるほうが大事という人物もいる.教材,楽器を指導者の指定のものを買わされるだけでなく,発表会や先生のリサイタルごとに,大量のチケットを自腹で買い取り,知人に配って回るというのもたまらない.

また,教室に通っている初心者の記事には,2年間キラキラ星をやってるというのもあった.これはどう考えても指導力不足だ.最近,長い付き合いの知人が,子供時代にバイオリンを習っていたことを知ったが,弾き方なんぞ覚えてなくてせいせいすると言わんばかりだった.よほどイヤだったのだろう.挫折するのはしかたないが,多少なりともかじった以上,音楽の聞き方など,精神的な財産として残るのが音楽の指導だと思うのだが,残ったのはトラウマだけらしい.そんな指導は,子どもでなくても御免こうむる.

独学しようという者は放っておけば良いのだ.それでも楽器に触る楽しさだけは得られるし,上達しなくても自業自得なだけでトラウマにまではならない.中には独学の限界を感じ,進んで指導者を探す者も出てくるはずだ.それを,芽のうちに摘まなくてはとばかりに,徹底的に攻撃する.そんな記事のおかげで,絶対に指導者にはつくものか,クラシックには手を出すものか,壊れるまで安物を使い通してやると心に誓うようになってしまった.

次回「ビブラート」(10/22公開予定)
乞うご期待

合法的

私は合法的なことが大好きだ.OLDBADBOYと名乗ってはいても,日々法に触れることがないよう,細心の注意を払って生きている.

以前,ある大学の先生がいて,古武道の達人でもあり,道場破りが趣味だった.ご本人が存命である可能性が高いので,いろいろボカして書かなければならないが,大学と言っても頂点に立つあの大学なので,さすがに国内で道場破りは外聞が悪い.主に海外の学会に参加した時に,道場を見つけては乗り込んだ.
相手の流派は空手だろうと柔道だろうと,構わない.お互い納得ずくの上,日本人とは比べ物にならない頑強な欧米人相手なので,相当なことをしても問題が起きない.さんざん乱暴なことをして,最後に人の背丈ほども飛び上がって,四方に手裏剣を打って見せたという.そんなふうに合法的に汗を流すのが何よりの楽しみだったそうだ.

私も常々こういう合法的な生き方に憧れていた.そこで,仲の良い同業者の先輩とこんな話をしたことがある.たまたま彼は居合い抜き,私は棒術を習っていて,内心自分のほうが強いと思っていたので,今後二人同時に末期ガンを宣告されたら,本気の果たし合いをやって決着をつけようというのである.もちろんそこまでやってしまえば完全に非合法だ.が,話すだけならば,不謹慎なだけで,合法である.私はそういう合法性を大切にしたいと思っているし,さらにギリギリまで合法を極めてみたいと思っているのだ.

ちなみに、この時代は優男のほうが武蔵、むくつけきひげ男が小次郎である。
次回「また,不快なものを見てしまった」(10/18公開予定)
乞うご期待!

10月1日、米政府がインターネット重要資源の監督権限を手放す

と言われても何のことか分かりにくいかもしれないが,まずは,こういう時代にうまれたことに感謝し,乾杯しよう,というくらい,おめでたい話である.
https://www.nic.ad.jp/ja/topics/2016/20161001-01.html

読まなくても良いが,ざっくり説明すると,インターネットは始まりの時点から,世界中の誰にでも開かれた場でルールや仕組みを作り上げられてきた.我々でもネットから下部組織のフォーラムに参加し,見識や活動ぶりが認められればが,やがてインターネットの運営やルールづくりに参加できる道はひらかれていた.ただし唯一,最後の最後の監督権はアメリカ政府が握っていた.それがこのたび,権限を放棄して国際的な民間組織に全権を委ねたのである.
現在,地球上の約半分の人間が,何らかの形でインターネットに接することができるという.そのシステムが特定の政府に依存しない,人類の自主性の上に運営されるのである.インターネット誕生以前には,誰も想像し得なかった時代がすでに始まっている.