KEEPA

以前にも一度紹介したが、amazonの商品の価格推移を追跡する、KEEPAという、GoogleChrome用の拡張機能がすごい。何ヶ月分もの販売価格の推移や売れ行き、人気度などを、グラフ表示してくれるのだ。定価のあるものは別だが、特に業者の出品や中古品などは、かなり価格の変動があることがわかる。大体新発売時には高く、徐々に安くなっていくが、クリスマスの前はかなり値上がりし、過ぎるとがくっと下がる。また、長い間売れないでいると下がって行き、売れ始めると値上がりしていく。商品に対する消費者の人気や需要、販売側の思惑などが手に取るように分かって実に面白い。

企業は、こういうデータを表に出したがらない。広告制作にあたって、その商品が市場でどういう位置にあるか知りたいと思うこともあるのだが、まず教えてくれないし、企業がきちんと把握していない場合もある。もちろん売上数字は頭に入っているのだろうが、変動する意味まで深く考えていないことも多い。それがKEEPAを見れば、amazonが扱っている、あらゆる商品の売れ行きや消費者の人気度、他社の価格戦略などが垣間見えてくる。まるでお宝情報の山を見ているような気分だ。勉強になることこの上もない。

KEEPAは、amazonで購入する際にも随分役に立つ。最近「トラッキング」という名前で、価格を指定して、それを下回ったらメールが来るサービスが始まった。これまでのリテールビジネスのあり方を根本から変えてしまうかもしれない機能だ。
そこでさっそくデザイン関係の絶版本を、中古マーケットで指値してみた。多分定価が4.5千円のものだろう。初期の中古出品はそれをちょっと下回るくらいだったが、ネットで紹介された直後、3万円に跳ね上がっていた。古書の値段などあってないようなものだから、それもしかたない。

ところがその後除々に値下がりして、現在何社かの古書店が1,700円台をつけている。今までの最安値だ。こんなきめ細かい価格推移など、普通は到底追いかけてはいられない。それが販売開始時まで遡って、ひと目でわかる。おそるべき機能である。私は1,200円より下がったらメールが来るように設定した。これはおそらく出品者に通知されるだろう。利益は出るだろうが、全然うまみのない額を指定したつもりだ。
こちらはその後指定額を1,300円に値上げ。これで、図々しいが冷やかしではなく、買う気だけはあるととらえて欲しいところだ。それを見て、何社かある業者はどう考えるか。価値のある本だが、一般的ではない。粘っても1700円なのだから、同業者より先にさっさと現金化したいと思うところが出てきてくれないだろうか。そんな駆け引きの面白さもある。

手裏剣道

手裏剣というのは不思議な道具だ。古武道の手裏剣術で使う手裏剣は、鉄の棒の先端を尖らせたもので、数本持ってナイフ投げのように使う。忍者が使う十字手裏剣や車剣などは有名だが、あんなにいろいろな方向に刃がついたものは、真っ先に自分が怪我するような気がする。現物が残っているので存在を否定はできないものの、あれを安全に持ち運べて、いざというときにすぐ取り出せるケースが思いつかない。あれの技を伝えてる人はいないし、実際は放り投げないで、違う使い方をしたのではないかという意見もある。

ともあれ忍者の手裏剣は、世界的にも、あまりにも有名になった。考古学者が「実は穴を掘る道具だった」などと言い出す前に、なんとかあれを使う競技を開発しなければ、世界に対して申し訳がたたないのではないかと思う。
そこで手裏剣道という競技を考えた。これは人と向きあうのではなく、弓道やダーツのような的当て競技である。
まず、図のように、五尺四方程度の板に、「臨兵闘者皆陣列在前」(兵に臨んで闘う者は、皆陣列の前にあれ)の九文字を書いて立てかける。これは密教の呪文といわれていて、室町時代あたりに、戦場に出る武士の間で流行ったものらしい。
術者は的から二間ほどの距離を置いて立ち、十字手裏剣や車剣を放つ。当たった場所の文字を、さらに天と地に分け、判定者が「兵の地なり」「在の天なり」というように宣言をする。中でも「者」、「皆」、「陣」の三文字は、人の正中線にあたるので、点数が高く、さらに「皆」の真ん中に当たればその時点で勝ち。「皆中(かいちゅう)、以って上となす」という訳である。

また、普通の武道と違って忍者の技なので、礼に始まり礼に終わるわけではない。刀で斬りかかると見せかけて投げたり、目潰しと一緒に放るというような、卑怯な投げ方が高く評価される。照明を落とした中で投げる「闇討ち」なども欠かせないだろう。

これをなんとか東京オリンピックまでにでっち上げて、海外からの観光客に見せられたらとおもうのだが。

思い通りにいくこと、いかないこと

中学・高校の同期生に秀才がいて、現役で東大に合格し、そのまま主席で法学部を卒業。大蔵省に入ったが、数年で自●してしまった。クラスが違うので交際は無かったが、当時は珍しい教育熱心な親の下で、勉強三昧だったらしい。まだ結婚前の下っ端だから、国を動かしたり、政治家や経済人と結託してうまい汁を吸ったりという醍醐味も無かったはずだ。あったら自●はしてないだろう。努力して、人もうらやむようなものを手に入れたが、実際は、人生の苦しいところだけ味わってたのかもしれない。

5歳下の従兄弟の友人は高校の吹奏楽部でアルトサックスをやってたが、ジャズに開眼。明けても暮れてもサックスの練習ばかりするようになった。心配する親と約束して、大学合格を条件に上京。一層ジャズに傾注した。山下洋輔のコンサートに乱入して吹きまくったという伝説まで作り、卒業後は案の定、バークレー音楽院に行ってしまった。
卒業後はそのままボストンに残り、昼はスーパーの店員、夜はクラブに出演している。日本人に言わせれば、彼はジャズメンではなくスーパーの店員かもしれない。また、CDは出したかどうか聞かれるそうだが、そんなもの出さなくても、アメリカでは彼はジャズメンそのもの。毎晩のように一流プレイヤーと共演している、アルトサックス・プレイヤーなのだ。
バークレー時代に一度日本に戻ってきた時、どうしても一緒にセッションしてくれと言われた。そのあげく、日本に戻ってくるとみんな目が死んでるだの、我々の演奏についてこんなにも下手になってしまうのかなどと、さんざん愚痴ったあげく帰っていった。
その日のことを思い出すと顔から火が出るが、別に我々が下手になったわけではなく、元からそんなものだったのだ。バークレーで磨いた腕と比べられても困るし、本人にとっては人生の岐路になった場所ということで、記憶が美化されてしまっていたに違いない。ともあれ高校生の時は実直な秀才タイプだったが、その頃には、ところかまわず思ったことを口にする、性格まで奔放なジャズメンそのものになっていた。

人生は思い通りにならないことばかりな上、思い通りになっても幸せとは限らないが、思いもよらない面白さに出くわすこともあるようだ。

北海道の贈答文化

前回のコメントに、京都生まれの人に接待の料理をけなされたという話があったが、以前の北海道民は、中元歳暮の時期に、よく同じような経験をした。父は京都に荒巻を贈ったら、これは肉体労働者の食べ物と言われたと憤慨していた。ただ、何も贈るものがなかったのだ。銘菓・名物といっても、京都などにははるかに及ばない。内心、小麦粉と砂糖を丸めて、丁寧に包装しただけのものじゃないか思ったが、創業うん百年の老舗と言われるとぐうの音も出ない。農産物、海産物はクール便がなかったし、送っても何こそ言われるかという時代だった。

それまでも親戚や友人には、国鉄のチッキ(カタカナでいいのかな?)で、じゃがいもを箱で送ったりしていたが、私が成人するころ、徐々にそれが認知されてきた。こちらでいうところの、北海道名産品の本州送りである。(本州だけというわけではない。道外という意味だが、九州、四国の方にはちょっと失礼な言い方だ)
やがて北海道からの生鮮食品は豪華贈答品とみなされるようになった。これはちょうど社会人になり、交際が広がった時期に大助かりだった。同じような思いをしていた同世代の間で、「じゃがいもでも喜んでくれた」「蟹だと大げさにうけとられすぎる」「沖縄にはアスパラがいい」「手土産にはマルセイバターサンドだ」という、情報交換も行われた。

北海道と言っても、札幌では生鮮品のアドバンテージなどなにもないのだが、贈答品の暗黒時代を知ってる人が、頑張ってありとあらゆるものを送ったのだろう。北海道産直品は贈答品の定番になった。生産地の努力だけでなく、せっせと送った一般の道民のおかげも大きいと思う。前の世代の人が、かつて鼻の先で笑われた相手から、感謝感激の礼状が来るようになった時、どれだけ痛快に感じたことか。
以前会った人が、「本州から客が来るが、蟹を食べさせてもらえものと思って、疑いもしない。札幌は別に安いわけじゃないのに」とボヤいていた。確かにそういう部分はあるが、その昔の、何を贈っても鼻の先で笑われてた時代より、ずっとマシである。(かも?)

関西弁の時代

次のリンク先を、ざっと読んでみてほしい。内容自体はどうでもいいのだが、関西弁が多いことに気がつくと思う。

http://hayabusa.open2ch.net/test/read.cgi/livejupiter/1486244220/

関西弁は伝染る。多数の中に一人関西出身者が入ってきただけで、みんなが影響される。が、関西人が影響を受けてるふうには思えない。しかし私が知る限り、関西出身の人もイントネーションが関西なだけで、文字に書けば標準語とほとんど変わらない喋り方をする。また、関西人も文章では標準語を書いてるはずだ。だからここに出てくる関西弁は、わざとやってるのだ。ネット上のことだから、そもそも書き手が関西人でないかもしれない。

真面目な議論をすれば、どうしても相手の言葉を否定しなければならない場面がある。それを標準語で書いてしまうと、敵意はなくても、相手が不快に感じることがあるかもしれない。そして売り言葉に買い言葉、炎上騒ぎ。少々わざとらしい関西弁の使用は、それを避けるための、自然発生した知恵なのかもしれない。
「顔文字を使わないメールは、堅苦しくてイヤだ。空気読めない奴みたいだ」という若い人の意見があったが、それと同じ気遣いだろう。日本の製造用機械の生産量の推移を語るのに、顔文字ではちょっとふざけすぎている。そこで関西弁の語尾をつけると、「同意はできないが、侮辱しているわけではない」というニュアンスが付け加わるような気がする。

関西は、長い間日本の中心として、人が集まって暮らしてきた地域だ。「アホやなあ」と言っても笑って済まされる文化がある。そういうバックグラウンドを、文字だけが頼りのコミュニケーションで利用させてもらうわけだ。これからは、関西弁がネット公用語になるかもしれんと、ワイは思うんやけど、間違ごうてたら、えろうすんまへん。