オールド・ラング・サイン、蛍の光、別れのワルツ

今年はなにかと大変な出来事があったが、それでもなんとか無事で大晦日を迎えることができた。
ところで、海外のクリスマスソング集には、なぜか「蛍の光」が入ってる。もともとはスコットランド民謡の「オールド・ラング・サイン」といい、別れの曲というより、昔を懐かしむ曲らしい。スコットランドでは準国歌で、誕生日などでも歌われるらしい。もともと西洋のクリスマス・シーズンは正月まで含まれていて、ツリーもその間飾っておく。その辺のニュアンスがちょっと違うので、日本人が考えるように別れの場で歌われると限ったものではないのだろう。本家を聞いてみるとメロディは、蛍の光そのものだ。

さて、別れと言えば、デパートなどの閉店時や連絡船の出港には蛍の光が流れ、なんとなくわびしい気持ちになるが、実はあの曲は蛍の光ではなく、「別れのワルツ」という、三拍子の別の曲である。聞けば、ああ、これこれと思うだろうが、正統派蛍の光と比べると、たしかに三拍子と四拍子の違いがある。また「蛍の光」の歌詞は卒業そのもので、すべての別れのシーンには合わない。今まで蛍の光=別れの曲と思っていたのは、本当はどっちだったのだろう。ちなみに別れのワルツのほうはよくわからないが、オールド・ラング・サインと蛍の光はパブリック・ドメインである。

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ミサイル考

その昔、大相撲に三犀龍(みさいりゅう)という力士がいたらしい。意味はモロにそれ。今なら絶対無理だなあ

今年はミサイルの年だった。速報が出てもすぐには距離や方向しかアナウンスしないので、自分で落下地点地図を書いてみたりした。そのせいで、ミサイルの知識が増えた。やはり北のミサイルは、発射からコントロール、そして弾頭の爆発まで、ちゃんとできるかどうか怪しいシロモノだと思う。

それで思い出したのは、かつての冷戦時代。当時のミサイルは、どう考えても現代より技術的に劣っていただろう。だから、米ソが競って発表した所有台数や破壊力・精度などは、かなりの誇張していたように思う。本当に飛ぶか、ちゃんととどいて爆発するか、味方の能力が虚仮威しなことをよくわかっていたうえで、敵の能力は額面通りに受け取らざるを得ない。そこでまた恐怖にかられて、誇大なアナウンスをする。当時は怖かったが、この歳になると、それらが実態のないアナウンス合戦に過ぎなかったようにも思えてくる。

そう思った理由のひとつは、アメリカが対抗手段として、爆撃機からの核ミサイル攻撃の用意をしたからだ。無数に所有しているはずのICBMで、一気にカタをつけるぞとは言わなかったのだ。このやり取りで、なんとなくICBMというものが色あせて思えてきた。

となると、逆に曲がりなりにも現代の技術で作り、しょっちゅう発射実験をしている方が、実用性が高いかもしれない。何千発もあるが試したことのないミサイルと、数えるほどしかないが、絶えず実験をくりかえしているミサイルと。アリが象を脅すようなことがまかり通っているのも、その辺が理由かもしれない。

ネットの上は、恋愛とか、ブラックな勤務がつらいとか、犬や猫の自慢とか、さまざまな書き込みで満ち溢れている。たあいものないそんな言葉の向こう側にそれぞれ一人の人間がいて、いながらにしてその存在を感じることができる。今までこんな時代はなかった。そのすべてを焼き払ってしまおうという奴が現れたのだ。私もいい歳になったが、もっと若い世代のため、あの若造が自分より長生きしないでほしいと心から願う。

Silent Night/7 O’ Clock News

今日はクリスマス・イヴ。パブリック・ドメインになってるものがないか探してみた。その中から、オーソドックスな「きよしこの夜」(フランツ・クサーヴァー・グルーバー/1787 – 1863)を、サイモンとガーファンクルの歌で。

「きよしこの夜/7時のニュース」というタイトル通り、背景にラジオニュースの音声が流れ、だんだんと大きくなってくる。内容はコメディアンの麻薬死、キング牧師のメモリアルパレードを妨害しようとする警察官僚、9人の看護学生の殺人事件に対する裁判、反ベトナム戦争集会での乱闘、そして、ベトナムでの戦争努力の増加を促し、戦争に反対することを「アメリカに対する最も強烈な武器」と語る、前米副大統領リチャード・ニクソンの演説。

どうか今夜の7時には、ミサイルのニュースが流れませんように。

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