ニンジャバットマン

日米合作長編アニメ「ニンジャバットマン」が、アメリカで好評らしい。

アメリカのマンガは、スーパーマンやバットマンを擁するDCコミックスと、スパイダーマンやXメンなどを擁するマーベルコミックスが2大出版社だが、マーベルではディズニーに買収されてから、キャラクターをコラボさせた実写映画を多数発表している。ニンジャバットマンの企画を聞いたときも正直食傷気味で、ワーナーが出資するDCも後追いしたくなったのかな、くらいに思っていたのだが。

ニンジャバットマンは監督から制作会社まで、日本が担当しているらしい。アメリカンコミックスは日本のマンガと違って、ストーリーよりもデッサンやペンタッチ等の絵を楽しむ傾向が強く、ファンの年齢層も高い。特にアメリカを代表するヒーローであるバットマンほどになると、コアなファンも多く、日本に任せるなどかつては考えられないことだった。それが本場で好評というのだから、時代も変わったものだと思う。6月公開だそうだから、行ってみようかなと思う。

ネットっ子気質

5月である。

江戸っ子は皐月の鯉の吹き流し、口先ばかりではらわたはなし

という川柳がある。鯉のぼりが口はしっかりしてるが、胴体がカラッポなのと同じように、江戸っ子は威勢がよくて正義感が強いが実行する根性はないという、当時の人の自嘲だろう。この江戸っ子気質が、小さな悪も許さず、よってたかってサイトを炎上させてしてしまう、現代のネット住人とそっくりだという説がある。確かにネット世界は江戸時代と妙に重なるところがある。

まず、ネット上に氾濫する”萌え絵”。その昔、ファンタジー小説の表紙にはむくつけきマッチョ男や半裸のグラマー美女が描かれていて、私はそれを楽しみに本を選んでいたのだが(こんな感じ)、ある時から少女漫画のようになってしまった。一時的な流行だろうとたかをくくっていたが、企業や行政のCM、ポスターまで萌え絵になり、ついに日本文化の象徴になってしまった。昔懐かしい汗みどろ、血みどろの世界はもう帰ってこないのだとあきらめつつ、私は、ああ、これは「浮世絵」なんだと悟った。江戸時代にあの極端な糸目、うりざね、柳腰の女性が本当にいたわけではないのと同じように、現代の萌え絵のようにバカでかい目の人間がいるわけではない。どちらも美女の記号化なのだ。
江戸は幕府が置かれてから急速に開発が進んだ街だ。職人や侍がどっと押し寄せてきたので、圧倒的に女性が少なかった。結婚できる男は限られていて、その他の男は吉原や岡場所に通って疑似恋愛にふけった。浮世絵もまた、当時のバーチャルな二次元アイドルである。現代の日本は、東京こそやや男性が多いとは言うものの、ほぼ男女同率なのだが、結婚しない、できない若者が増えている。その心の隙間を埋めるのが、極端に「愛嬌」が強調された萌え絵なのだろう。江戸時代に芸術性など評価されなかった浮世絵が、世界に出ていって日本文化の象徴になったところまで同じだ。

そんな江戸っ子の世論の炎上に、幕府もずいぶん気を使っていたらしい。記者会見の態度が悪いと言う理由で、大会社が潰れてしまう現代と同じだ。赤穂浪士の討ち入りなど、どう考えてもテロだから当時のご法度でいえば獄門さらし首が順当だ。が、江戸っ子が寄ってたかって義士、忠義の誉れ、武士の鑑とはやしたてるものだから、大名家預かりの上切腹にせざるをえなくなってしまった。
最近の研究では、江戸時代に士農工商の身分階級などなかったと考えられている。確かに武士の力が絶対的なら、田沼意次や吉良上野介のような地位の高い武士の悪口が、現代まで伝わってるはずがない。斬新な経済活性化を行った田沼意次が汚職の代名詞になったり、徳川家以外での武家の最高の身分でありながら、面倒見の良い気さくな江戸っ子で、しかも元禄三大美男に数えられた吉良上野介が、悪の権化の憎々しげな爺いのように後世に伝えられてしまったのも、江戸っ子の炎上パワーだったのである。
現在でも時折、著名人やタレント、政治家や大企業が世論の袋叩きにあって、姿を消すことがある。中には、これは違うだろうなあと感じることもあるが、うっかり弁護などすると、こちらまで白い目で見られかねない。かくして今日も、火事と喧嘩はネットの華なのである。