コロナに立ち向かう、たったひとつの方法

コロナ感染の危険性は、当然人が集中する都会のほうが高い。だが、都会であれば多くの施設の入り口に、消毒用アルコールが設置させているはずだ。普通に暮らしていても日に何回も消毒の機会があるだろう。コロナの危険性が伝わるやいなや、役所の指導を待つまでもなく、自主的に多くの建物の玄関にアルコールが並んだのを見て、日本というのは大した国だなと思った。

もしこれが低開発国であれば、そんなふうにしたくてもできないかもしれない。日本人は非常に恵まれているわけだが、正しいアルコール消毒ができていないと、無知のせいで先進的な環境を使いこなせなかった、ということになる。

手のひらにとったアルコールで指先を湿らせるだけでなく、指先を立てて左右にこすり、爪の間にアルコールが行き渡らせる。手のひら、手の甲だけでなく、指の股にもアルコールを塗り込め、最後は乾く前にドアノブや自動ドアのスイッチに触れる。
食品工場の生産施設に入った事がある人は、そんなふうに指導された経験があるだろう。まだまだ指先を湿らせただけでさっさと通り過ぎる人が多いが、まれにそこまでやってる人を見ると、ああプロだな、かっこいいなと思う。それは命根性が汚いのではなく、他の人の生命も守っているからだ。

コロナだろうがなんだろうが、仕事しなければならないんだよという人は、ヤケのやんぱちでおざなりの消毒で済ませてないだろうか。ネット上では外国人の入国禁止や、感染者を出した政府機関への批判が目立つが、きちんとアルコール消毒ができるかどうかというほうが、数億倍重要だ。これは大げさなことではなく、誰かを批判したり国のすばらしい対策を待っているだけでは1個のウィルスも死なないが、アルコールを使えば数億個が死ぬ。思想でも、言論でも、気持ちの問題でもない、アルコール消毒の問題だ。

Googleと行く、夢のカリフォルニア裁判所ツアー!

Google の利用規約が改訂されます。 発効日の 2020 年 3 月 31 日までに新しい規約を確認しましょう。
今、Googleのページに行くと、こんなメッセージが表示される。さっそくポリシーのページヘ行くと、 真っ先に書かれていたのはこれ。
Google は、こうした利用規約はできれば読みたくないというユーザーの心理を理解しています。
さすがはGoogle、わかった上でこんなに長々と…。いやがらせかな。
それはともかく、Googleの言う通り、到底読む気にはなれないので、気になったところだけを見ると。
紛争には、抵触法の規定に関係なく、カリフォルニア州法が適用されるものとします。これらの紛争は、アメリカ合衆国カリフォルニア州サンタクララ郡内に所在する裁判所においてのみ解決できる

こういう文章にはよくあるフレーズだが、あらためてカリフォルニアと言われると、シャレにならないなと思う。そこで、知らないうちにあなたも行くことになってしまうかも知れない、夢のカリフォルニア裁判所人気ランキング!!ちなみに星はGoogleマップに表示されていたもの。ラーメン屋じゃあるまいし、何の評判だろう?いつもご厄介になってる連中の、「てめえら覚えてやがれ!」的な感想だろうか?

第4位!カリフォルニアのまばゆい日差しに、木陰にくつろぐ人の姿も見えるサンタクララ郡裁判所。星は、もっとがんばりましょうの1.8である。

第3位!ファミリーと銘打ってはいても、そこは裁判所。舐めてもらっては困るとばかり、カリフォーニャな白バイが並ぶ。星はこれからの成長に期待を込めて2.0だ。

第2位!カリフォルニアのまばゆい日差しにも負けず、逆光の中にいかつい姿を浮かび上がらせる上級裁判所。星は泣く子も黙る2.1だ。

そして堂々の第1位!カリフォルニアのまばゆい日差しの中、観光客が間違って入ってしまいそうな美しい外観を誇る、州の上級裁判所。星はどっちつかずの3.4。正しかるべき正義も、時として 盲いる(めしいる)ことがある、とは、往年のTVドラマ逃亡者のセリフだったか。

Yesterdays

ジェローム・カーン( 1885 – 1945)の作曲。演奏は2人、最初はアートブレイキーとジャズ・メッセンジャーズである。

アート・ブレイキーは日本人女性と結婚したほどの大の親日家で、また日本で最も愛されたジャズメンの一人である。そうなったのも、当時のアメリカでは、まだまだ黒人差別が強かったせいもある。彼の初来日のときには、空港に押しかけたファンが自分の出迎えとは思わず、同じ便に誰か大スターが乗ってたのだろうと思ったらしい。また、一緒に写真に収まりたいというファンに「黒人なのに良いのか?」と尋ねたとも言う。日本人からすれば憧れの大スターであり、アゴアシは興行主の負担でホテルも一流が当たり前なのだが。

二人目はエルヴィン・ジョーンズ。言わずと知れたコルトレーン・カルテットの名ドラマーだが、この人も日本と縁が深い。1966年に来日した際、トラブルで帰国できなくなったが、日本人ミュージシャンの支援を受けた。これを機に大の親日家になり、この人も日本人女性と結婚した。来日回数も多い。

いつ頃のことか忘れたが、「エルヴィンは九州で暮らしてるらしい」という噂が伝わってきた。だったらこちらでもコンサートがあるのではと期待していたら、案の定開催された。ステージや備え付けの椅子のない多目的空間で開かれたので、自分の席に行くときに、ドラムセットの裏側を触らないように通って行かなければならなかった。ドラムをやっていた同行者などは、目が皿のようになっていた。

レコードは擦り切れるほど聴いても、動画はもちろん、写真さえ限られたアングルのものしかなかった時代には、プレイヤーの演奏風景はコンサートでしかわからない。エルヴィンのドラムセットはごく普通のものだったし、オクトパスと呼ばれていても、もちろん手足は4本しかなかった。それどころか、他のドラマーに比べてもアクションが少ないようにすら感じた。それなのに、レコードを遥かにしのぐ音の奔流。終わってみれば、いつもは生意気なジャズ論議をし合う仲間も、「すごかったねえ」というのがやっとだった。

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