ポル・ウナ・カベサ

カルロス・ガルデル(Carlos Gardel, 1890 – 1935)の曲。ただし動画では冒頭の2分少々だけで、その後「ビヨンド・ザ・シー」「韃靼人の踊り」「How Insensitive」と続く。ストリート・ミュージックの雰囲気が良かったので、あえて選んでみた。

タンゴは1880年代のアルゼンチンで、ダンス音楽として生まれた。当時、タンゴの歌はダンスの添え物的な扱いだったが、カルロス・ガルデルが登場して美声と表現力で一斉を風靡し、歌をタンゴの主役の地位に高めた。
作曲家としても「ポル・ウナ・カベサ」を始め、数々の名曲を残したが、絶頂期の44歳で飛行機事故で亡くなった。そのドラマチックな最期もあって、アルゼンチンでは今なおタンゴの偶像、国民の英雄として知られている。

アルゼンチンは先進国から途上国に凋落した唯一の国として、経済学の研究対象として注目されている国だ。19世紀後半から20世紀初頭にかけての加速度的な経済発展により、一人当たり国民所得が世界10位にランクされ、首都ブエノスアイレスは南米のパリと言われていた。
その後クーデターによる軍事政権の誕生、経済政策の失敗、政府支出の増大などにより、超インフレのあげく8度のデフォルト(債務不履行)を経験。2020年にも、9度目のデフォルトに陥っている。カルロス・ガルデスの死は、衰退が始まっていたアルゼンチンの国民に、とりわけ悲壮な思いを抱かせたに違いない。

演奏者のROM DRACULAS氏は、フィレンツェのストリート・ミュージシャンらしい。詳細は不明だが、youtubeによく登場している。もともとバイオリンがクラシックだけでなく、民族音楽やジプシージャズの楽器として、街頭や酒場で演奏されていたころの雰囲気が伝わってくるようだ。

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東京オリンピックを成功させたい

目下謎の連休中である。東京オリンピック開幕に合わせた今年だけの措置だそうだが、コロナのために順延となり、意味不明な連休になってしまった。オリンピック延期を決定したときは、夏になってコロナが収束し、開催しておけばよかったという具合になればいいと思っていたが、甘かったようだ。モグラたたきのように、治まったかと思えば別のどこかで感染が広がる。拡大のピークを超えた日本でもそうなのに、アメリカやブラジルのことを考えれば、世界に門戸を開く大イベントなど、もってのほかという人も多いだろう。ただ、それでも私は来年の東京オリンピックに、成功してほしいと思う。

1964年の東京オリンピックは、日本の復興と平和への誓いを全世界にアピールするという大きな意義があった。それに比べて今回は、日本で開催する意味があまり見いだせず、いっそライバルのイスタンブールに決まっても良いのではと思っていたほどだったが、もし来年開催ができたなら、世界的、かつ歴史的に大きな意義があると思う。

オリンピックが開催できるシチュエーションとして、何より望ましいのは、来年までにワクチンや画期的な治療法ができて、コロナの脅威が去っていることだ。が、それが無理で現在と同程度の蔓延状況だったとしても、開催できるような仕組みを作れないかと思う。例えば誘致時点ですでに言われていた、世界中への競技のバーチャル配信。競技場の内外だけでなくあらゆるアクセス経路を世界最速スパコンでシミューレションし、感染拡大を防ぐ動員体制を作る。さらに競技ごとに新しいユニフォームや器具、場合によってはルールも見直す。情報化や医療でのソフト、ハード、制度の改革や国民の参加で、コロナをコントロールしてみせるのである。

現在世界のリーダーシップは経済力や軍事力の大きな国が握っており、日本も大国に見合うだけの貢献を求められている。が、オリンピックの成功で、経済力や軍事力ではない、ITや医療、インテリジェントな施設やトラフィックなど、健康、安全に関するジャンルで世界にリーダーシップを示せないものかと思う。オリンピックをきっかけに、保健衛生技術やノウハウが世界に拡散し、日本からコロナとの終戦、復興が広がる。そんな大会にならないかなと思う。

李子柒 / キュウリ

今回の李子柒はキュウリ。最近は更新が多い。

黄瓜は中国式で日本では胡瓜と書くのだと思っていたが、両国ともどちらも使うらしい。我々のよく知るキュウリは未熟な緑色のものだが、中国では黄色く大きく熟してからも、漬物で食べるようだ。漬物に使った独特の瓶は「泡菜壇(ポーツァイタン)」と言うらしい。
かぶせた蓋の周囲に水を張るので、発酵で出たガスは外に出るが外気や雑菌は入らない。うまくできている。昔は中国物産展で小型の泡菜壇に入った漬物を売っていた。意味ありげだがそういう装飾かと思っていたが、この動画シリーズで初めて使い方を知った。今は中国製の漬物も普通のガラス瓶詰めのようだ。

今では信じられないかもしれないが、日中国交回復直後は中国物産展が花盛りで、中国製食品といえば、素朴な無添加手作りで、日本製よりむしろ良心的というイメージさえあった。それが毒入り餃子事件で評価が一変してしまった。あれも日本人が憎いというより、エライさん同士の派閥抗争の中で、対立相手が日本企業と協力して進めていた事業にダメージを与えるために起こしたものらしい。醜い権力抗争はどの国にもあるだろうが、日本なら、たかがそんなもののために食べものを粗末に扱うなどもってのほかだが、中国では権力争いこそが天下の一大事で、たかが食べ物のことなど取るに足りない、という考え方の違いがあるようだ。が、愚かなことをしたものだと思う。

小麦粉を水で溶いて薄く焼き、おかずを包んで食べるのは世界中にある食べ方で、中国は餅(ピン)、メキシコではトルティーヤ、インドのパラタと名前は変われど同じものだ。