ジム・ヴァンデンアッカーの記録

James H. VanDenAkker (1948-1995)

※ZIPファイル

1995年12月、アメリカのパーカッション奏者であるジム・ヴァンデンアッカーが、腎臓がんでなくなった。友人のルイスは、ジムのPCの中から、ハンドドラムに関する研究成果を発見し、彼の記念碑として残るようウェブサイトで公開した。

私がそのサイトを発見したのは、21世紀になって間もない頃だったと思う。インターネット上をアフリカ美術関連のサイトを探す中、ドラムを販売するサイトを発見し、さっそくとりよせた。そして世界中のサイトからその奏法をさがすうちに、ジムのサイトを発見した。当時は、それまで思いもかけなかったアフリカのドラムを手に入れたこと、そして、人が亡くなった後もネットの上でその業績が残り、多くの人の目に触れ続けていることに、新しい時代が訪れたことを感じた。

現在、彼のサイトはない。何台ものPCを乗り換えて受け継いだ私のブックマークも、「404」を返すだけである。もちろん「ルイス」氏の消息もわからない。が、幸いなことに、自力で翻訳しようとダウンロードしておいたデータが、そのまま私の手元に残っていた。そこで今回私は、ジムに代わったルイスに代わって、再び彼の業績を公開しようと思う。なにかの縁でこのサイトにたどり着いた方は、ぜひ上記のZIPファイルのリンクをクリックして、ダウンロードしてほしい。解凍後には、さまざまな地域やスタイルのドラムのリズムに関する、33のファイルがあるが、そのナンバー01には、私の拙い訳でジムの生涯についての紹介もある。

ジム・ヴァンデンアッカーは決して高名なプレイヤーではなかったかもしれないが、高度な内容がわかりやすく説明されており、相応の実力者であったことが伺われる。厳密に言えば著作権の権利期間中に、勝手に公開することになるが、この悪事がジム・ヴァンデンアッカーとルイスの魂にやすらぎとなるなら、オールド・バッド・ボーイの面目躍如である。

忍術道場

北海道にも忍術道場がある。場所はここでは公開できないが…。表から内部が見えないので、通りがかるたびに誰か出入りしないか見ていたのだが、その気配はない。おそらく主婦やケータリング業者など、いちばん怪しくない格好をしているのが忍者だろう。そこまで分かってる私が見逃すはずはないと思うのだが、すぐ脇を通り抜けてるのに気づかないということもありうる。

忍者の七つ道具のひとつ、十字手裏剣はよい子の必須アイテムだ。ワッシャーや釘などで、作った人も多いだろう。素材を探し、デザインを考え、根気よく削り上げる。がんばればできるという達成感と、バカをやると痛い目にあうという教訓も得られる。お子様の健やかな成長には欠かせない品だ。
だが、作った人はわかるだろうが、あれを何枚も懐に入れて素早く取り出すのは無理である。どう置こうと、どれかの切っ先がこちらを向いてるのだから、危ないことこの上もない。毒を塗るなど論外である。その点は大人になるにつれて、むしろ謎が深まった。専用のケースがあるふうでもないが、史料として現物はちゃんと残っているのだから。

私は過去数十年間、十字手裏剣についてたまに考察を重ねた結果、あれはウソなのではないかという結論に達した。そんな言い方をすると身も蓋もないが、実戦ではウソは極めて効果的な戦術である。例えば「地雷原を敷設するのに最低限必要なのは何個か?答えゼロ個」というのがある。「ここから地雷原」という看板を立てるだけで、敵軍は除去作業をしなくてはならなくなり、進軍スピードがぐっと遅れる。それで十分地雷としても役割を果たす。虚実とりまぜた情報をコントロールし相手を不利な状況に導く。それこそがウソの効用であり、かの孫子も「兵は詭道なり(戦争とは騙し合いだ)」と言っている。

そう考えると十字手裏剣も、敵の忍者を混乱させたり、クライアントである戦国大名たちへのプレゼンテーションのための、はったり新兵器だったのかもしれないと思う。

ペンタトニック

その昔、ロックをやっている知人に、ロックのアドリブはどんな音階かを聞いたことがあったが、「ペンタトニックかなあ」という答えだった。ペンタトニックについては、ネット上に多くの情報があり、楽譜もあるのだが、ニュアンスがよくわからなかった。簡単な音階なので覚えることはできるのだが、分かったような実感がないし、それで何かアドリブができるような気がしない。
次の動画は、ペンタトニックとはどういう音階か、直感的に教えてくれる。


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示し合わせたわけでもないのに、まるで観客の頭の中にはじめからあったように、自然に出てきた音階。これがペンタトニックだ。この音階は、さまざまな国の民謡などでも使われているので、大抵の人が親しみや懐かしさを感じる。日本で暮らす中東の人が、演歌や民謡を聞くと故郷を思い出すと言われるが、これもペンタトニック音階が共通しているからだろう。日本人が洋楽の曲を歌っても、どこか民謡っぽくなってしまうと言われるが、これも共通する音階のせいで、民謡に引っ張られてしまうのかもしれない。

同じような音階を使っているのに、さまざまな音楽ジャンルの違いがあるのは、リズムのせいだろう。最近はyoutubeにもポピュラーヴァイオリンの指導動画がポツポツと出始めたが、クラシックを習った人のための勉強し直しとして、リズムに力点を置いて指導しているものを見かける。経験者でもそうなのだから、我々初心者も、腰をすえたリズム練習がひつようなのだろうなと思う。