伊福部昭

今日は作曲家の伊福部昭の、生誕100周年の誕生日。親戚にあたるのだが、直接会ったことがあるのは父母までで、私はない。Googleのトップページで紹介されるまで、100周年とは知らなかった。ほぼ独学で作曲した作品が、いきなり海外の大きな音楽賞をとったことで、音楽界にはあんなものは認めないという人も多かったらしい。また、実の母親からも「河原乞食のような仕事」といわれてた時期もあったと聞いている。ゴジラや座頭市の映画音楽の作曲家として有名というより、親戚としてはやや気の毒な境遇にある人という感じでもあった。レコード全集が出たときも、両親が「せめて親戚ぐらいは買ってあげよう」と言ってたのを覚えている。

人となりは知らないが、かなりの反骨精神の持ち主だったのだと思う。音楽には何より自由な創造性が求められ、常識を破壊するところから始まるとさえ言われるが、昔の音楽界は徒弟制度のようなものだったらしい。そんな時代に師匠を持たない人間が海外の音楽賞をとってしまったのだから、敵も多かった。本人も邪道扱いされて思うところがあったのか、後に、交響曲の作曲法を記した「管絃楽法」を執筆した。当時は世界的に見てもオーケストラの作曲技法を記した本は珍しく、クラシックからシンガソングライターまで、作曲に携わる人は必ず持っている。
ただしこの管絃楽法だが、「曲の作り方」を書いてしまっては作曲者の創造性を損ねてしまうだけに、作曲のノウハウ本ではない。いわゆる和音を出さなくても、楽器それぞれの音響特性が違うのだから、全楽器が同じ音を出しても、そこには「ハーモニー」が生まれるという考え方で、主に楽器の音響特性などが説明されている。農学部出身だけに理工学的なアプローチと言えるかもしれない。ちなみに大甥の伊福部達氏は音響工学の専門家で、緊急地震速報の音の製作者。ゴジラの声も素材に使ってるとか使ってないとか。

😋絵文字の話

これまで、絵文字を使ったことがなかった。 😶昔は「機種依存文字」といって、Macintoshで見ると文字化けしてしまう文字があったくらいで、勝手に自分で作った記号を文字と同じように使うことなど、考えられなかったからだ。 😑その後普通に見かけるようになっても、文字化けを起こしそうで使う気になれなかった。

😕

もともとインターネットで使える文字はアルファベットだけだった。プログラムも英語ベースだし、利用者も技術系が多いのだからかまわないだろうということだったのかもしれない。それを文字種類の多い日本語でも使えるよう、慶応大の村井氏をはじめとする日本人研究者たちの働きかけにより、英語以外も使える土台ができた。今日、世界中の国々が、インターネット上でそれぞれの言語が使えているのは、この人たちの頑張りのおかげである。そして絵文字もまた、文字の融通性を広げてきた成果なのだろう。

考えてみれば現在の文字は象形文字から発展したもので、いわば絵文字のようなものだった。いわば文字の先祖返りなわけだが、それが洗練されていけば、もしかしたら遠い将来、絵文字が世界共通文字に進化するかもしれない。
とはいえ今はちょっと使いづらい。使い方のお約束がわかってないからかもしれないが、我ながらぎこちない入れた方だなあと思う。

スカイダイビング

スカイダイビングに年齢制限があることを知った。18~65歳まで。いやあ、残念だなあ、気が付かないうちに過ぎちゃってたよ。知ってたらやったね。何しろ昔は肝っ玉兄ちゃんと呼ばれてたくらいだ。顔色ひとつ変えずに、「格好つけて落ちてるだけさ」とか、バズ・ライトイヤーみたいなセリフを言っちゃってね。リップコードは高度ギリギリまで引かないよ。ギャラリーのおののく顔が見えてから、バシッとこう、今の若い連中とは根性の鍛え方が違うってところを、一発ね。

俺はいいんだよ、今すぐ飛んだってさ。でも、規則じゃあしゃあない。やらないでおいてやるよ。ま、人生、いかに才能ややる気があっても、ままならないこともあるってことかな。バンジー・ジャンプだっておなじことさ、なんたって規則が...規則...。

...さ、風呂入ってこようかな...

バンジーには年齢上限がないとか、バカじゃないの