先日、「高齢者は年寄りの初心者」と書いた。高齢者は何かと能力が衰えるが、それに慣れてるわけではなく、気づくたびに驚いているという内容だったが、これを言い換えればタイトルのようになる。自分で書いててイヤな気分だが、われわれの若い時代・昭和は、まさに「ヤング」の時代だった。「青春」という言葉が乱れ飛び、若さの素晴らしさを聞かされて来た。若さは可能性、若ければいつかどんな夢でも叶うと。なんのことはない、団塊の世代を中心とした若年購買層に向けた販促メッセージに毒されていたわけである。
今は、「青春」という言葉はほとんど見かけない。若い人に「若いって素晴らしい」と言っても、「ブラック勤務のどこが?」と言い返されるかもしれない。酒を飲んで朝まで語り合う醍醐味を語っても、「それってネットでもできるよね」と言われるだろう。車離れ、未婚率上昇など、高齢者が若者に感じる違和感は、どれも高齢者が昔の基準で考えたヤング像と比べるせいで、彼ら自身はふつうに生きてるだけだ。
どうも高齢者がいつまでも若さにこだわると、良いことはないようだ。そこでいっそ高齢者も、年寄りを先取りしてはどうかと思う。杖をつき、和服にカンカン帽で、「ワシはこう思うのじゃよ」などという話し方をする。電車で席を譲られてショックを受ける前に、「すまんが腰が痛むので、席を代わってくれんかのう」と言ってみる。多分、若者たちの心遣いに触れることができるだろう。怪しげな「年老いたヤング」ではなく、社会が考えるような絵に描いたような年寄りになったほうが、彼らとの話も通じやすいような気がする。まあ、別に話が通じなくても、彼らには関係ないのだが。


