アドリブは難しいもので、何曲もの楽曲を弾きこなせるくらいでないとできない。ずっとそんな風に考えていたが、最近それは勘違いだと思えてきた。例えば既存の曲は、簡単な曲でも、どこかに難所があったりする。自分の技量を超える部分が一箇所でもあれば、その他が弾けても、いつまでたっても失敗演奏である。
でもアドリブなら、こう弾くべしという形がないのだから、自分の技量だけで、無理なく通しで演奏しきれるのではないか。最近はそう考えて、意識的にアドリブを練習してたが、だんだんコツがわかってきた。
伴奏動画と一緒に弾く場合、無理していろいろな音を出さず、無音の部分があってもいい。むしろ無音の”間”があることで、メリハリができる。また、変な音を出してしまったら、わざとそのフレーズを繰り返してみるのもいい。そうすると間違ったのではなく、あえて印象的な音を選んだかのように聞こえることがある。
もともと新しい音楽ほど、ドミソの三和音からかけ離れた音を使う。そういう変わった音がつくごとにコードに数字や記号がついて、ややこしくて長いコードネームになるのだが、音楽はどんな音を鳴らしてもかまわない状態に近づいているということなのだろうと思う。だから間違って鳴らした音でも、失敗したと思わずに、あえて繰り返して出してみると、当初の予定にはなかったが、案外悪くないということになる。技術を磨き上げようとしても間に合わないかもしれないので、いろいろズルをして凌ごうというわけだ。
「楽器は、なかなか思い通りにはならないが、思わぬ良いことも起こる。人生と同じだ」と言う言葉もある。まあ、自分で考えた言葉だが…
歳を取ってから楽器を始めて、間違えない演奏などできるわけがないのだ。だから他人に聞いてもらう場合でも、完璧さや上手さではなく、楽しんでる雰囲気を味わってもらえればそれで十分だと思う。だから「アドリブ」というと大げさに聞こえるので、遊びの演奏=アソビブと名付けたほうがいいかもしれない。

