元祖テレビゲーム世代

頭を一度リセットして、昔のファミコンゲームを何の予備知識もなしで遊べたら、どんなに面白いだろうと言った人がいた。ファミコンが発売されたのは1987年だったが、当時としては高いおもちゃだったので、親に買ってもらえた子供もそう多くはなかったはずだし、家庭があったり責任ある立場の大人はこんなものに興味がなかった。こういうものが自由に買えたのは、その中間、独身で未婚の社会人であり、ちょうど我々がそれにあたる。

その後の世代、親に買ってもらえずに成人した子供は、反動で熱狂的なテレビゲーム世代になったが、そのころにはマンガやアニメ、攻略本など、ゲーム情報は反乱していた。まっさらの状態でゲームをやる贅沢が味わえたのは、結局我々の世代だけだったかもしれない。
だからRPGと言われても、何をするゲームだかよくわからないままドラクエを始めた。スライム1匹あたりから受ける被害と残りHPを絶えず暗算しながら、慎重に一歩ずつ歩いた。そしてレベルアップがあり、HPも増えてそろそろもう少し遠くへ行こうとしたところへ、スライムではない大型のモンスターが現れたのである。
「そういうゲームなのか!」その後待ち受ける運命に、残りHPを横目で見ながら逃げようか戦おうか頭をフル回転させたものである。あれは決して遊び気分ではなかった。そしてラストバトル。倒したはずのラスボスが正体を現して巨大化し、半パニック状態の主人公を、コンテンパンに叩き伏せてしまった。今ならお約束もお約束、桜吹雪か印籠かというくらいの古典的演出だが、そのときは本当に驚いたものだ。
当時のゲームは、ある程度大人向けのおもちゃだったのかもしれない。常軌を逸したほど反射神経をすり減らすゲームもあったし、ドラクエ2では、今なら社会問題になりそうなほど底意地の悪い謎がしかけてあったりした。

最後にテレビゲームをしたのは何年前か、思い出せない。子供がゲーム世代になったころ、いろいろ教わりながらやったのが最後じゃないかと思う。グラフィックもストーリーも、格段に素晴らしくなっていてワクワクしてとりかかったのだが、いかんせん集中力が足りなくなっていた。その頃に、昔のゲーム仲間と「自分は現役だ」とか「引退かな」などと話し合った覚えがある。

日本人は、勝因がわからないほど静かにしぶとく戦うのである

餅考

年々正月らしさが感じられなくなってきた。歌合戦もおせちも、もともと好きというわけではなかったせいもある。が、餅は別で、雑煮でもキナコ餅でも大歓迎なのだが、年中食べたい時に切り餅を買ってしまうので、やはり正月らしさが希薄になってきた。つまり正月らしさがないのは、自業自得ではある。

子供のころでも、餅つきは珍しかったが、臼や杵のある家や、腕に覚えのある人が大勢いたので、誰かが声をかければすぐ餅つきイベントはできた。また普通の家では餅屋で買うか、もち米を持ち込んで搗いてもらう「ちん餅」を利用していた。
その後電動餅つき機が発売されたが、これはかなりのヒット商品で、特に年寄り世帯では年中餅が食べられると言って、こぞって買っていた。当時の家電は、テレビ、冷蔵庫、電子レンジと、新しく登場した製品を買えばその分必ずといっていいほど生活が向上する、夢のある商品だった。
餅つき機は我が家にもあったが、仕上がりやややキメが粗く、水っぽかったので、道産米のせいか所詮機械の限界かと思っていた。ところが年寄りが使うと、杵つきと遜色のないものができあがる。含水時間やつきあげ時間などを工夫したのだという。長年餅に慣れ親しんできただけに要求水準が高く、弘法筆を選ばずということになったようだ。
そしてパック詰め切り餅が発売されたのは、それよりもさらに後のことである。餅つき機のほうが開発が難しそうだが、適切な湿度などを保つパッケージが難しかったらしい。これも当初は年末商品だったが、今では年中買える。朝食はトーストにしようか、餅にしようかという手軽さだ。

そこでもし自分が、「餅は正月だけしか食べてはならぬ。このこと代々申し伝え、ゆめゆめ違うことなかれ」と遺言したらどうだろう。先祖(自分)は恨まれるかもしれないが、子孫はさぞかし正月が楽しみになるだろう。また、(自分同様)罰当たりがいて、いいつけに背いて餅を食べたら、それこそ禁断・背徳の味で、これまたさぞかし旨いだろうと思う。

新年あけましておめでとうございます。

本年もよろしくお願いいたします。

さて、動画はお正月らしく「寿三番叟」である。おめでたい演目ではあるが、踊られるのは正月に限ったことではない。昔の町衆は茶屋で芸者衆をあげて宴会をした際、遅れてきた者が罰としてこの寿三番叟を踊るという決まりがあった。こういう古き良き伝統は、私の若い頃も徐々に失われていたのだが、私はそのへんを逆手に取って、茶屋遊びに誘われるとわざと遅れて行き、非礼をわびた後に寿三番叟をひとさし舞ってみせた。若いが、なかなかに粋をわきまえた見どころのあるやつと言われ、大いに面目を施したものである(※)。

※ウソです。
寿三番叟については江戸時代の風俗らしいが、私はもちろん全く知らない。サンバのほうがまだ親しみがあるくらいである。最近は年をとってるのをいいことに、若い人に「実録二・二六事件」などを語ったりするのだが、不思議とまだ生まれてなかったのではと指摘されたことはない。という話を同級生にしたら、自分は「満州の紅い夕陽」でいこうと言っていた。若い人は、相手が年寄だからといって、油断してはいけない。