Blenderの時代

私がCGを始めたのは、1987年に発売されたPersonal Linksから。演算はNECのPC9801が行っていたが、16色しか発色できなかったため、外部に画像専用の記憶装置が必要だった(※)。画像の作成もマウスで画面を見ながらというわけにはいかず、ひたすらコードを打ち込まなければならなかった。その後は、できたコードを演算させ走査線が1本ずつじわじわと画像が出来上がるのを待つのだが、1枚の画像を作るのに数時間、数日かかることもあった。

そうやって作った画像も、記憶装置に保存できるのは画面1枚分だけ。動画を作るとなると、記憶装置からビデオデッキに描き出しては新しい画面を計算させる作業を繰り返さなければならなかった。高めのPC、ソフトウェア、外部記憶装置、スタジオ用ビデオデッキなど、頭が痛くなるような費用がかかったが、回収は簡単だった。当時、北海道でそれだけの環境を持っていたのは自分くらいなものだったので、技術系企業などに対しては、表紙に自社ロゴが3D化された会社案内をプレゼンしただけで、ほぼ100%決まった。「少々お高くなりますが…」という料金だったが、企業にとっても表紙だけで””見るからに先進テクノロジー企業”であることをアピールでき、官庁などに対して効果抜群だったそうだから、ウィン・ウィンだった。

その後PCは外部記憶装置がなくてもフルカラーを扱えるようになり、ソフトウェアをインストールするだけで3DCGが作れるようになった。3Dソフトも大御所のMAYAをはじめ、いくつか選べるようになった。いずれもそう安いものではなかったが、PC自体のコスパも格段に上がったこともあって、最初の頃に比べれば手が出しやすくなっていた。そのころにはPersonal Linksは使えなくなって、操作を一から勉強し直さなければならなくなったが、必要な投資を恐れずにできるようになったのは、大きな財産だったと思う。

そして現在使っているのはBlender。なんと無償で使える3DCGソフトだ。単にCGの造形ができるだけでなく、生の動画にCGの造形を合成するなど、当時のことを思えば夢のようなシステムだ。無償だけあって、最新、最先端のシステムに比べれば見劣りするものの、最先端システムの、ほんの数年前のバージョンと同等の機能が揃っている。ネット上にはこれを使った作品が無数にあり、中には作品テーマ的に50代、60代、あるいはそれ以上の方ではないかと思われるものも少なくない。おそらくその昔、CGをやりたくても手が出なかった若者が、今になって夢がかなったということではないかと思う。

※)CGでフルカラーとは、R,G,Bの光の三原色が、それぞれ256階調使える状態のこと。つまり1粒の画素(ピクセル)が256x256x256の、1670万色を発色できる状態だ。CG画像を作るには、画面上のすべての画素の数x1670色分の情報をストックし、1秒間に30回表示しなければならないが、昔のPCは、メモリがまるで足りずにそれができなかった。そのため、画面1枚分の情報をストックするために、外部に専用記憶装置が必要だった。
また、ここまでしてで作り上げた画像も、直接受け取ってくれる印刷会社などはないので、東京の映画専用のフィルム現像所まで送り、ポジフィルムに焼いてもらわなければならなかった。
さらに動画となると、1コマ分が演算し終わるごとに、コマ撮り撮影可能なビデオデッキに書き出してしまって、記憶装置をからっぽにしなければならなかった。

アドリブへのアプローチ

楽器を弾くなら、間奏部分は自由にアドリブしてみたい。クラシック指向でないなら、誰でも考えることだろう。そして、主メロ部分がそれなりに弾けるようになると、ただ同じことを繰り返すのはつまらない。誰かが聞いてくれるという場合なら、なおさらくりかえしだけでは申し訳がない。下手でも自分なりの音楽に挑戦してみせ、「おっ!」と言わせてみたい。

そこで、アドリブへの近道と言われる、メロディに合ったコードスケールの練習をしてみた。が、スケールが弾けるようになっても、自分なりのフレーズが浮かんでこないのだ。まるで、原曲とは別の「スケール」という名前の新しい曲を練習しているような気分なのである。複雑なモダンジャズのスケールならなおさらである。情けない話だが、練習の量だけでは乗り越えられない、質的な壁があるように思えてならない。

次に考えたのは、間奏部分も主メロの繰り返しでいいから、ちょっとだけ装飾音を加えたりテンポを変えてみようと考えた。すると、割りといろいろなパターンが作り出せることに気がついた。特に、小節ごとの最初の音は主メロの音以外を使おうとすると、混乱して手が止まってしまったのだが、主メロと同じでいいやと居直ったら、比較的容易に装飾音をつけたりテンポをくずしたりできるようになった。また、それだけのことが面白いと感じられるようになった。なにも難しいことを我慢して繰り返すだけでなく、どんどん妥協して目標を下げていっても、新しい楽しさを発見できるのだ。

パブリック・ドメイン、ではありません!

今年1月から、サマータイムなどの名曲で知られるジョージ・ガーシュイン(1898-1937)の楽曲が、突然パブリック・ドメインではなくなったらしい。アメリカの著作権管理団体ASCAPによると、妻のアイラ・ガーシュイン(Ira Gershwin、1983年没)との共同制作物であることが判明したためだという。したがって去年までの使用分は大丈夫だが、今年から権利が復活し延長されるとか。

私は心の汚れた年寄りだから、こういう話を聞くと「ははあ、そう来たか」と思ってしまう。奥さんとの共同制作ねえ...。
「あなた、がんばって!」はい、共同制作。「この部分が素敵ね」はい、共同制作。実は当時30歳も年の離れた彼女がいたことがわかって、正妻との差別は許されないという判決が出たので...はい、共同制作。当時の録音に残っていた作曲家の声からAIでアバターを作ったので...はい、共同...ではない、本人が生き返ったのだから著作権復活。

では、アイラの没年が1983年というから、パブリック・ドメイン化するのは2034年から?アメリカは70年という話もあるから2054年?それとも遡及法は許されないということで、やっぱり2034年か?

今まで書いた、ガーシュインに関する記事も随時修正し、カテゴリーも「パブリック・ドメイン名曲集」から「パブリック・ドメインではありません!」に変えようと思う。一覧表のほうも、修正して公開したい。(気力が戻ったらね)