箸で切れる、輸入豚肉の”骨切り”トンカツ

某レシピサイトみたいなタイトルだが…。

スーパーの特価の輸入豚肉はちょっと怖いくらい安い、そして非常に硬い。年々歯が弱くなってきたせいで、トンカツにかぶりついて、歯が危うく感じたこともある。固くて安いものを選んで輸入しているのではなく、生産地では普通に食べているものだと思うので、諸物価高騰の折、柔らかく食べられる調理法があれば大助かりだ。

「肉を柔らかく」で検索すると、パイナップルやキウィ、舞茸、玉ねぎなどでマリネする、肉叩きで叩きまくるなどの方法が見つかったが、それなりに試してみたがいまいちであった。その中の、「ミルフィユカツ」という、薄切りの肉を重ねて揚げるメニューを見て、ふと、和食の技法である「骨切り」を思い出した。鱧などの骨の多い魚を開いて、狭い幅で細かく切れ目を入れていく技法で、皮一枚分残して切るという手練の職人芸である。これを豚のトンカツ用切り身で試してみた。使った包丁は菜切だが、キレキレに研いでおいた。

肉は下まで切らないよう奥と手間に割り箸を置き、2~3ミリ幅で片面を切ったら、裏返して同じ角度でもう一度切る。これで広げれば網目になるのだが、なるべく広がらないようまとめるように小麦粉、卵、パン粉をつけて揚げた。火が通れば肉の切断面はくっついてしまうので、仕上がりは普通のトンカツと変わらない。筋切りの効果もあるので、反ることもなかった。肝心の柔らかさはと言うと、ちゃんと箸で切れた。あれだけ切り刻めば当たり前ともいえるが、手間がかかるようでいて、むしろマリネや肉叩きより時間はかからない。知られた技術かもしれないが、自分で考えたのが自慢だ。

その後、これに気を良くして各国の特価の豚を比べてみたが、アメリカ、カナダは見栄えが良いのだが味わいは淡白。南米産はドリップがあるなどブサイクだが、ちょっとだけ銘柄豚を思わせる香りがある。スペイン産はさすがイベリコの産地、安くても一味違うと思わせるものがあった。(かな?)

訳アリ音楽をめざせ!

訳アリ商品というのがある。割れたせんべいやチョコレートなど食品に多いが、若い人に人気の古着などもその一種かもしれない。これの良いところは安いからだけではない。特に食品の場合、訳アリではない大手ブランドの商品は非常に厳しい品質基準が課せられている。そのせいで、例えばポテトチップの塩の量がほんの少し基準より多かっただけで、同ロットすべて廃棄することもあるそうだ。こういうムダは誰よりも企業が嫌うはずなのだが、炎上がどうの、株価がどうのということになれば一大事、ということかもしれない。

その点訳アリ商品なら多少せんべいの醤油が多かろうが少なかろうが、企業も消費者も「しょせん訳アリだから」というゆるい信頼関係が成り立ってしまう。割れたせんべいとは言っても、大量に規格外を出してるようでは採算が怪しいので、完品をわざと割って売るのだろう。単なる価格訴求のためだけの低品質品とは違う。お役所の指標を間に挟んで消費者と対立するのではなく、いわば消費者となあなあのグルになることをめざしたわけである。

最近よく見る、若い人向けの古着屋も似ているかもしれない。おしゃれな人は必ずしも金持ちではなく、むしろ少ないお金を上手に使おうとする人たちから新しい流行が生まれる。その点現代は、安くあげようと思ったら某クロしかなさそうで、おしゃれな人は不満があるのではと思っていた。自分は某クロで十分だが。
ここでいう古着とは、景気が良かった時代に販売されていた、個性的で素材や縫製、デザインのしっかりしたファッションという意味らしい。衛生的で汚れや痛みが少ないのは当然として、今では新品でも手にはいらないものを着ておしゃれを楽しもうということだ。もしかしたら当時は量産品だったかもしれないが、今まで大切に着られてきて一点ものと同様の価値になった服、とも言える。

話は変わって、自分もバイオリンを始めて8年ほどになる。年も年なので最初からだいそれた目標もなく、永遠に初心者レベルでも楽しければ良いということで、「ビギナーでいこう」などと言ってたのだが、さすがにそれでは志が低いかなと思うようになってきた。そこで、決してパーフェクトではないが味わいがある、というあたりのレベル、いわば「訳アリ音楽」をめざそうというふうに言い換えて、ほんのちょっとだけ自分の努力を評価してやることにした。歳を取ればいろいろ完璧からは程遠くなり、人間そのものが訳アリのお古なのだし。