
武家屋敷の門は通常は閉ざされていて、来客は脇の通用口から出入りする。たまに時代劇などで門の外に門番が立っている描写があるが、実際には脇の通用口の内側にいて、槍を構えていた。武家屋敷の客は武士が多く、刀を差していて危険だ。不審な客に対しては、動きがとりにくい通用門を通ってるところを、槍で突く。
それに対して客は、脇差しを鞘ごと外して頭上にかざして通用口をくぐり、槍を突きつけてきた瞬間に抜いて穂先を切り落とす。一方門番も、槍を使えるなら棒術もできるので、穂先を落とされても、刀にひけはとらない。さらに短く斬られても杖術を駆使して相手取る。
というようなこともなく無事に座敷に案内されたら、客は入り口の刀掛けに刀を預けるか、外して体の右側に置いて座る。左側に置くと抜きやすいので、反対側に置くことで敵意のないことを示すためである。ところが以前、座ったまま右側に置いた刀の鍔を後ろから叩いて刀身を飛び出させ、そのまま斬りつけるという動画があった。武家屋敷の門をくぐれば油断は許されない。戸板一枚が生地と死地の分かれ目である。
武家屋敷とは違って寺の門は聖と俗、生まれ変わりの象徴である。以前福井県の永平寺に行ったことがある。山門は開かれたままだが、一般客や参拝・観光の客は脇の入り口を通らなければならず、真ん中を通れるのは朝廷の使者と修行僧だけだ。郷里から新しい墨染の衣に身を包んで出立した少年僧が、旅路の果て、ようやく装束が板についてきたころ、山門の真ん中を通って修業場へ向かう。山門は何百年もの間、彼らの初々しい不安と覚悟を受け入れ続けてきた。