Google Analytics、UAが終了しGA4に

去年から予告されていたGoogle Analytcsの旧バージョン/ユバーサル・アナリティクスがサービス終了してGA4に移行された。GA以前のサイトアクセス情報は、サーバーのログを自分で解析しなくてはならなかったので、GAが登場したときは何と良いものが公開されたのかと、感動するほどだった。最初は自分でもなかなか慣れずひとに説明などできなかったが、それでもサイトを持ってる知人等には、「訳が分からなくてもいいから、とにかく毎日1回は開いてみること」と強く言った覚えがある。そのおかげで、実際にビジネスの業績がアップした人もいる。

正直、慣れたUAからの移行は面倒くさかったが、サイトにカウントダウンを設置し、自分に鞭打ってGAに慣れるようにしてきた。まだわからないところも多いが、確実に機能は充実している。何より、自分の頭の中がちゃんとアップデートできて、新環境についていけたことがうれしい。

島松駅逓所と明治天皇行幸

島松駅逓所は、国指定の史跡だ。個人の民家でも文化財級が残っている本州からすれば、ちょっと大きめの小屋くらいにしか見えないかもしれないが、史跡としての価値はなかなか高い。前回紹介した時には、明治政府によって維新後に他の駅逓所と一緒に作られたように書いてしまったが、島松は江戸時代に松前藩によって建てられたものだ。

松前藩といえば江戸時代は蝦夷地を領有していたから、いわば他県でいえば「地元のお殿様」なのだが、札幌などではそういう意識が低く、9カ月だけ滞在したアメリカ人のほうが圧倒的に知名度が高い。関ケ原だの田楽狭間というような猛々しい話が伝わってないからだろうが、決して激動の日本史の蚊帳の外でのんびり続いていた藩ではない。維新の際には、当初奥羽列強同盟に属して新政府に反旗を翻したが、その後内部対立を経て新政府側へ寝返ったりしている。なかなか大変だったのだ。

さて明治になって島松駅逓所は、寒冷地稲作の祖と呼ばれた中山久蔵が取扱人となり、明治14年の天皇行幸の際には行在所(あんざいしょ/天皇の休憩所)に改築された。明治天皇といえば、維新の際には17歳の若さだったという。歴代天皇と違いひげを蓄えた肖像が知られているが、若く見られたくなかったのかもしれない。それまで諸藩の集まりだった日本が中央集権国家に生まれ変わった象徴だけあって、何度も全国へ行幸を行っている。しかも「明治天皇御巡幸記」などを見ると、けっこう過酷なスケジュールだ。とりわけ島松にも立ち寄った明治14年の行幸では、青森から悪天候をついて戦艦「扶桑」で出港したが、途中難破船に遭遇し、乗員を救助したりしている。無線連絡もない時代、小樽港で待ち構えていた開拓使長官の黒田清隆などがやきもしきていたという記録がある。みんな、なかなか大変だったのだ。