記事中に「AIによる要約」というボタンのあるサイトがあった。クリックすると、ずっと下まで続いている長文が、10行程度に要約されて表示された。便利なようだが、何かおかしいような気もする。
現代はコンテンツの大量消費時代だと言われている。毎日膨大な量の情報を流し見してまわる読者にとっては、要約があれば便利に感じるかもしれない。筆者にとっても、流し見されて間違った解釈をされるより、適切な要約だけでも読んでもらったほうがいいかもしれないが。
ただ、要約をAI任せというのはいかにもおかしい。確かに長文を読むのは苦痛だが、だからこそ結論を最初に述べてみたり、好奇心を掻き立てるエピソードを散りばめて読者を最後まで誘導したり、推敲を重ねながら工夫するのが「文章を書く」ということだ。流し見されてしまうのは、それだけの内容だからということである。また、読者にとっても、頑張って長文を読み自分なりの要約として記憶する。それが読書体験というものだろう。
AI要約には、内容はAIが作成したものなので、筆者は免責である旨の一文がつく。これもどうかと思う。せっかく書いた文章に、自分で責任を負えないようなものをつけてしまうくらいなら、要約も自分で書いてはどうだろう。
AI(人工知能)の反意語はNI(Natural Intelligence=自然知能)というそうだ。AI生成の文章を自動的に判別するシステムもできたそうだし、企業、官庁などでも、無節操なAIの利用を制限するガイドブックや指針を次々に発表している。AIが一世を風靡しつつある現代だからこそ、これからはNIの重要性が高まると思われる。そこで本記事にも、これ以上の適役はないというNI、つまり筆者である自分の知能による要約をつけてみた。
筆者によるNI要約
AIに要約させるって、あんまり意味がないんじゃない?
いかがだろうか。読者が読む気をなくすよう、わざと長々書いてきた文章が、スッキリ1行でおさまっている。しかも自分自身による要約なので、内容のの正確さも保証付きだ。本記事ももちろんNI生成である。誤字脱字はつとめて修正したつもりだが、もしかしたら残ってるかもしれない。それこそNI生成の醍醐味であるから、見つけたら「おっ、いい塩梅に誤字ってる。さすが天然物ならではだねえ」と、乱れ具合を味わってほしい。