先日、歩くと楽器演奏が冴える話を書いた。血流がよくなって、頭まで血液が行き渡るためらしい。長い間、足の裏を踏み込むから血液を押し上げるのだと思い込んでいたので「足裏ポンプ」と書いたが、正しくは、ポンプの役割を果たすのは足裏ではなくふくらはぎの収縮らしい。ちょっとした勘違いだが、その効果はちょっとどころではなかった。
その後も何度か歩き回ってへとへとになる日があった。いつもなら座り込んで何もしたくなくなるが、あの記事を書いた手前こんなくたびれた状態でも脳が冴えているのか、バイオリンで試してみた。するとやはりぜんぜん違う。毎回同じ伴奏音源に合わせているので、ついていくのがやっとの日もあるのに、歩いた後では余裕をもって弾ける。
自分がいま冴えているか、ぼんやりしているのかは、実は自分で判断できないことなのだと思う。調子が良し悪しを判断する脳の性能が落ちていれば、本当はハイマーががっていても、オールオッケー、ノープロブレムと感じてしまうかも知れない。もちろん無理して楽器を弾く必要はないが、歩くかどうか大きな違いだと思う。
ここで世の高齢者に言いたい。歩かなくていいよ、窮屈に考えないで楽に生きようと。幸せへの道はそっちにあるかもしれないし。だが私は歩く。そして自分だけ冴えた年寄りになってやるのだ。