思い通りにいくこと、いかないこと

中学・高校の同期生に秀才がいて、現役で東大に合格し、そのまま主席で法学部を卒業。大蔵省に入ったが、数年で自●してしまった。クラスが違うので交際は無かったが、当時は珍しい教育熱心な親の下で、勉強三昧だったらしい。まだ結婚前の下っ端だから、国を動かしたり、政治家や経済人と結託してうまい汁を吸ったりという醍醐味も無かったはずだ。あったら自●はしてないだろう。努力して、人もうらやむようなものを手に入れたが、実際は、人生の苦しいところだけ味わってたのかもしれない。

5歳下の従兄弟の友人は高校の吹奏楽部でアルトサックスをやってたが、ジャズに開眼。明けても暮れてもサックスの練習ばかりするようになった。心配する親と約束して、大学合格を条件に上京。一層ジャズに傾注した。山下洋輔のコンサートに乱入して吹きまくったという伝説まで作り、卒業後は案の定、バークレー音楽院に行ってしまった。
卒業後はそのままボストンに残り、昼はスーパーの店員、夜はクラブに出演している。日本人に言わせれば、彼はジャズメンではなくスーパーの店員かもしれない。また、CDは出したかどうか聞かれるそうだが、そんなもの出さなくても、アメリカでは彼はジャズメンそのもの。毎晩のように一流プレイヤーと共演している、アルトサックス・プレイヤーなのだ。
バークレー時代に一度日本に戻ってきた時、どうしても一緒にセッションしてくれと言われた。そのあげく、日本に戻ってくるとみんな目が死んでるだの、我々の演奏についてこんなにも下手になってしまうのかなどと、さんざん愚痴ったあげく帰っていった。
その日のことを思い出すと顔から火が出るが、別に我々が下手になったわけではなく、元からそんなものだったのだ。バークレーで磨いた腕と比べられても困るし、本人にとっては人生の岐路になった場所ということで、記憶が美化されてしまっていたに違いない。ともあれ高校生の時は実直な秀才タイプだったが、その頃には、ところかまわず思ったことを口にする、性格まで奔放なジャズメンそのものになっていた。

人生は思い通りにならないことばかりな上、思い通りになっても幸せとは限らないが、思いもよらない面白さに出くわすこともあるようだ。

4 thoughts on “思い通りにいくこと、いかないこと

  • 3月 22, 2017 at 23:10
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    元々,身についていた特技でも,自分では気づかないなんて事もありますね。デザインなどもそれほど好きではありませんでしたが,知らない間にその世界に染まっていました。考えてみれば小学校の時には,絵画で何度も賞を貰っていました。でも貧しかったので絵の具も満足に使えませんでした。チューブから絵の具を直接出して,指で描いていた同級生が羨ましかったものです。僕の絵は水彩絵の具を水で延ばしたあっさりしたものでした。中学に入って美術部に入って絵の具ばかりが画材ではないことを絵の旨い先輩に教わりました。卵の殻をつぶしてモザイク画を作ったり創作が楽しくなりました。県の統計図表コンクールではB1判の作品で大賞を貰いました。高校では音楽に転向して美術は忘れていましたが,当時の彼女の似顔絵などのデッサンをいたずら描きしたものが舎監の先生の目に留まり,玄関に張り出されました。その絵を同級生が見て卒業後も僕の事を覚えていて,デザインの道に勧誘したのでした。それがその後僕のデザインへの道の決め手になるとは,当時の僕には想像すらできませんでした。

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  • 3月 21, 2017 at 09:11
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    高校時代の夏休みには上大崎の姉の家を拠点に新宿辺りのジャズ喫茶に入り浸り、毎日ステージを観て音楽三昧でした。吹奏楽をやっていた関係で東京キューバンボーイズのビッグなショーバンドの迫力には度肝を抜かれました。夏休みも終わり、田舎に戻ると早速隣の高校と中学も巻き込んでビッグバンド結成を試みました。皆んな卒業後一度だけ集まりましたが、その当時トロンボーンを吹いていた中学生の子が東京でバンドマンをやっているらしく見事なテナーサックスを聞かせてくれました。余りの大化けに度肝を抜かれました。人の才能は環境さえ有れば開花するものですね。

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  • 3月 20, 2017 at 23:42
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    人生の岐路は幾度もありましたね。究極の選択をして今があるのですが,もしもあの時に別の選択をしていたらどんな自分になっていたのでしょう。高校時代に校内放送で校長室に呼ばれて行くと,呉の海上自衛隊音楽隊の方の勧誘でした。僕は断りましたが,隣の高校の吹奏楽仲間を二人紹介しました。彼らは入隊し或る時辞めて一人は証券会社に,もう一人はクラブなどで演奏するバンドマンになりました。その当時バレエの先生だった兄嫁からN響に入らないかなどと誘いがありましたが自信もなく辞退しました。或る時同級生からデザインの道に誘われ,決断しました。しかし未だバンドの夢は持ち続けていたのでしょう。知り合いの女性の結婚相手が作曲家で遊びに行ったのがきっかけでバンドを手伝う事になりました。しかし,クラブでの演奏はつまらないものでした。いろんな流れ者のバンドマンも見て,到底一流には程遠い事を知りました。それでも懲りずにまたバンドの夢を見てユニットを聞見ましたが,分裂してしまいました。それ以来音楽とは一時,縁を切り,元のデザインの道に戻りました。いろいろと寄り道をしましたが,何事も好きなだけでは趣味以外,駄目ですね。

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  • 3月 20, 2017 at 07:20
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    「願わずば叶わず」で,自分の願いは,いつかは叶うものですね。それがどんなに小さな夢でも叶えば幸せと言えるでしょうね。幸せの度合いは人それぞれですから,羨んでも仕方ないし,比べる必要もないでしょうね。自分自身が納得していればそれでいいと思いますね。一つの事に熱中できる環境があれば伸びるでしょうが,そんなに人生は楽なものではありません。僕などは毎日生きる事の方が先になっていますね。

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